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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-08-19-Tuesday 勝毎「論壇」掲載原稿

2014年8月18日十勝毎日新聞「論壇」欄掲載文

「サニーデパート」

1967年11月27日深夜、坂本ダンスホールから出火、隣接していた土産品店やビヤホール、住宅などを全焼した。タバコの火の不始末が原因であった。

この頃、帯広市西2南9では、ボヤも含め4軒の火災がたて続けに発生し、町内会ではお祓(はら)いをしたほどだった。

父(圭司)は16・18番地の敷地約660平方メートルに地下1階地上7階建て鉄筋コンクリートのビルを建て、「寄合百貨店」を開業することを決心。設計を札幌の石本建築事務所に、建築を大阪の松村組に依頼して69年10月30日、「サニーデパート」としてオープンした。

大卒初任給が約3万円の時代、ビルの名称にちなんで約40万円の日産自動車「サニー」をプレゼントするという開店企画が大評判を呼んだ。エスカレーターは帯広で初めて地階から5階までの5基を設置。2基のエレベータには「上へ参りま〜す」「下へ参りま〜す」のエレベーターガールを常時配置、よくものまねをしたものだった。

当時の帯広には、5階建て以上の高層建築は藤丸百貨店(西2南9)、かじのビル、はとやビル(駅前)くらいしかなかった時代である。6階には「坂本ダンスホール」の夢よもう一度、との思いから柱の無い空間を持つ大ホールを造り、ダンス以外にもコンサートや展覧会などの文化的な催しにも開放した。

この大ホールではDREAMS COME TRUEの吉田美和さんが帯広柏葉高校を卒業する84年3月10・11日の2日間、「Good bye High School 吉田美和 TAKE OFF CONCERT」を開催したこともある。

「寄合百貨店」であるがために、テナントの入れ替わりが多く、紆余(うよ)曲折を繰り返したが、76年3月、4階に田村書店が入居してからは「カルネ」「ベル」「ファンシードール」などとの相乗効果で学生を中心にした若い客層に支持され、にぎわいをみせた。この後、10年間ほどが全盛時代であった。

90年11月、父が病に倒れ入院。テナントの退店が激しくなってきて、もはや「サニーデパート」と名乗れるような業務形態ではなくなったので「坂本ビル」へと名称を変更した。

92年5月には父が逝去。市内の各ビルは空室が目立つようになり、テナントの奪い合いの様相を呈してきた。物販のテナントを集めることは難しくなってきたので、思い切って飲食店ビルに大変身させたが、中心街にある貸ビル業としては、1階路面部分を物販に供するように配慮した。

98年11月、イトーヨーカドーが移転。かつては「まちに行く」と表現された中心部のにぎわいは以来すっかり影を潜めてしまっている。