本当にそうだと思う。
ここ最近であるが、私が個人的な立場だけであったなら、きっと、あっさりと断わっている依頼事であっても、公的な立場というものがあって、検討を余儀なくされたり、他の役員に相談して決めなければならないことが多くなっているのだ。
昔から、私は「わがまま」な奴だと友人から言われることが多かった。それは私が嫌なことは絶対に引き受けないからだ。
青臭いと言われればそれまでだが、自分の信条を活かせるポジションなら喜んで引き受けるが、自分の信条を曲げなければ務まらないポジションには就きたいとは思わないのだ。
これは持って生まれた性格なのだろう、一旦、自分の信条を曲げてしまうと自分が壊れてしまうのではないかと云う恐怖感のようなものが内面に存在している。
自分の信条通りに、言いたいことを言い、行動する。例え、ある過程で、とあるポジションに就いたとしても、そのポジションを守ることより、自分の信条を優先してきたから、信条が守れないと判断した時には、その組織から離脱してきたのである。
傍からみれば、それが「わがまま」に映るのだろう。
だが、もしも、私が自分の我を殺して、その立場に居続けたとしたら、私は悩み苦しんでしまい私の精神の方が崩壊してしまうかもしれないと感じるのだ。
しかし、何もかもを自分の思い通りにしたいという独裁者的な感覚でいる訳では決してない。皆で話し合った結果が本質から逸脱さえしていなければ、私と意見が異なってもその決定には勿論従うし、その決定が成就するように最大元の努力は惜しまないのである。
しかし、本質から離れた決定には、私の良心が従うことはできないから、その組織を離れるしかなくなるのである。
そういった事がこれまでにはかなり多かった。若かったから過激に尖っていたのかもしれない。
でも、私も年を取った。昔よりはかなり柔軟になってきていると思う。おかれた立場上での社会性を考えると「仕方がないなぁ〜」と思うようにもなってきた。
これが、果たして良いことなのか、悪いことなのか、まだ判断は付かないが、表層はともかくも、根本の信条だけは曲げたくないと思っている。