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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-10-11-Saturday 蜩ノ記

映画「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を観て来た。

例によって「夫婦50歳割引き制度」を使ってである。2人で2200円で2時間近くも楽しめるのだから映画は実に安い娯楽である。

第146回直木賞を受賞した葉室麟原作の同名小説の映画化で、監督は黒澤明の弟子である小泉堯史だ。出演者は名前が通っている役者が多い。テーマも興味がある。

「蜩(ひぐらし)」とは蝉の一種で秋の気配が近づくと哀しむように鳴くと云う、その蜩と、死を目前にした「その日暮らし」の身であるという意味を掛けたもので、戸田秋谷が付けている日記の題である。

物語は「前藩主の側室との不義密通の罪により10年後の切腹と、その間に藩の歴史である家請の完成を命じられた戸田秋谷(役所広司)を、不始末をした檀野庄三郎(岡田准一)が監視する役目を仰せつかる」ところから始まる。

『自分の「死」を見つめながら生きる』とはどう云うことか。

「事件の真相」は、「夫婦愛」「家族愛」「師弟愛」とは「友情」とは「恋愛」とは等など人間の普遍的なテーマが凝縮された映画であるとの前宣伝に期待して観に行ったのであった。

なかなか面白い映画ではあったが、どうもスッキリしない。

一言で表現すると「中途半端」なのだ。

時代劇というと勧善懲悪物が多いが、そういう映画の場合の悪役は憎々しい役者を揃えるし、ストーリーも、そこまでやるか!「お主も悪よのう〜」という感じなのだが、この映画には完全な「悪」が登場しないのだ。

本来なら、敵役を悪家老にして、もっと憎々しいキャラクターにすれば、もっとスッキリしたのかもしれないが、この家老は悪い奴なんだか、良い奴なんだか最後までよく分からないのである。

石丸謙二郎が演じる悪徳商人も一応出ては来るが、登場場面が短過ぎて憎々しさがどうにも足りないのだ。

ストーリーが従来の勧善懲悪モノではないだけに、表現が少々難しかったのかもしれないなぁ〜。

戸田秋谷の妻役の原田美枝子は昔はあまり好きではない女優であったが、ここ最近は落ち着いた雰囲気の良い女優になった。年を取ってから良くなる女優の典型かもしれない。

それと、ラストに流れるBGMが、私の耳には「あ〜、ビィバ、アメリカ」に聞こえてしまって困ってしまった。同じメロディラインが何度も出てくるのだが、何度聞いても「ア〜、ビィバ、アメリカ〜」に重なってしまうのだ。

妻も「岡田君を活かし切れていない」との不満を口にしていた。

私は死生観というか死に様というか、この主テーマは良かったと思う。私は自分の死に様としては、事故などで死ぬ覚悟をしていないまま死ぬよりも、自分の余命を知って死ぬ覚悟をしてから死にたいと思う。更に願わくば、病気で長く伏せるよりも、まだ健康な状態のままで苦しまずに死にたいものだ。

「理不尽」な出来事に対する登場人物たちの対応の仕方「義をみてせざるは勇なきなり」には共感を覚えたが、点数をつけるなら80点というところかな。