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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-01-13-Tuesday 帯広の中心街

新年の挨拶に来社した取引先の客から

「帯広の中心街は寂しいですなぁ。昨晩は3連休の最終日だというのに駅前が暗くて、人もほとんど歩いていなかった。メインストリートの駅前通りが、両サイドとも空き地や駐車場ばかり、坂本社長が頑張って何とかして下さいよ」「社長が20年位前に言っていた中心街の活性化策は一体どうなったんですか?」と言う。

「20年位前」というのは、正確には1996年に「十勝環境ラボラトリー」で発表した「中心街活性化策」のことである。

あの当時の私は、ずいぶんと色々な人達に、夢を熱く語っていたのであろうなぁ。

前年の1995年に、帯広市内中心部の空き地や駐車場を調べて、それを白地図に落としたものを現在も会社の壁に貼ってあるが、それを見ると、空き地と駐車場は減るどころか、倍くらいに増えているのだ。

客人曰く「帯広は恵まれているから危機感がないのでしょう。でも、これからの時代、帯広とて安閑としてはいられませんよ。これだけ街を拡げてしまったら、これからが大変でしょうなぁ」」と言う。

確かに言われる通りである。愚痴を言っても始まらないが・・・。

帯広の政治家も経済人も10年、20年先を見越してのまちづくりには消極的であった。変革を嫌い、現状維持を選択したのである。

私らは、何もいますぐに変革をしようと言ったのではない。10年、20年掛けて徐々に変えていこうとしたのだが、まったく聞く耳を持ってくれなかったのだ。あの時に着手していれば今頃は・・・。

そして、私らが研究した成果を活かすどころか、潰しにかかったのだ。先見の明がまるでないのであろう。現在が良ければそれで良いという考え方なのかもしれない。

そのお陰と言うか何と云うか、その経緯があったから、他人を頼ってはいけないと、自分たちで出来ることから始めようと行動に移したことで「北の屋台」が誕生したのだが、その「北の屋台」も当初のコンセプトは失われ、ただの飲食店街になってしまっているようで残念である。

これからの少子高齢化時代のまちづくりは、これまでの人口が増えていた時代のまちづくりとはベクトルの向きが逆になる。過去の発想を転換しなければならないのに、未だに「国土の均衡ある発展」などとネボケたことを言う政治家ばかりだ。

日本海側に較べて雪が少ない帯広だとは言っても、帯広にも雪が降る。ましてや気温が低いから降った雪が凍ってしまう。

そうなったら、老人は怖くて外を歩けなくなるだろう。

雪の降らない地域の街づくりを参考にしても、帯広の冬には合致しない場合が多いのだ。独自に考える必要がある。

私は19年前に発表したプランが現在でもまだ機能すると思っている。あれから約20年、未だにアンケートだなんだと同じことばかり繰り返して一歩も先に進んでいかない帯広のまちづくり。

そうこうしている内に私も年を取ってしまい、かつての情熱もエネルギーも失くしている。誰か若手を早急に育てねばならないだろう。