近年、神社の宮司さんの考えなのか、氏子さんの考えなのか分からないがどんど焼きの中身を燃やせるモノと燃やせないモノに分別している。
プラスチック類を燃やせば有毒ガスが出るから地球環境を考えれば良いことなのだが、一点だけ疑問に思うことがある。それは正月飾りを入れて行った「紙袋を持って帰れ」ということだ。
何故、紙袋は燃やしてはいけないのだろうか? それとも、まだ使える紙袋はモッタイナイから、持って帰って再利用しなさいということなのだろうか?
では、破れてしまって、もう使えない紙袋はどうなんだろうか?
どんど焼きのお手伝いをしている氏子の方々も、紙袋を持ち帰へさせる意味を理解していないで作業をしているように見えるのだが・・・。
紙袋から中身だけを出して炎の中に投げ入れるのは難しい。紙袋ごと炎の中に投げ入れた方が簡単だし、ゴミが散らからないと思うのだが・・・。
どんど焼きを終えて神社の駐車場から一般道に出る時のことだ。私の直前の車が東3条通を北に右折しようとした。ここからの右折は道路が混雑していてかなり難しい。右折するよりも一旦左折して、信号のある交差点から戻れば良いのに、このドライバーはどうしても最短距離で行きたいのだろう。右折するにしても雪で狭くなっている駐車場の出口のど真ん中に車を停めてウインカーを出して待っているから、後ろに居て左折しようとする私の車は横をすり抜けることも出来ないのだ。見る間に私の後ろは大渋滞になった。
東3条通を北進する車のドライバーも酷いものだ。神社の前の国道38号線は混んでいるし、その手前の駐車場の入口も混んでいて渋滞しているから、車がスムーズに流れていないのだ。3mほどずつしか進んでいかないのだから、私の前の車を入れてあげれば良いのに、入れずにその3mを進む。
だから、駐車場の出口は大渋滞になる。
右折しようとするドライバーにも問題があるが、譲って入れてやるドライバーが居ないことも問題だろう。どうして他人を思いやる運転が出来ないのだろうか?十勝のドライバーのマナーは最低である。
今朝の新聞各社は、政府の2015年度予算案のことを伝えているが・・・。このブログではあえて細かいことは解説しないが、いつも感じるのは、相変わらずのその場しのぎの予算案ということだ。
いつも小手先でちょこちょこと変えることが、いかに日本国民の富を奪っているのか政治家も官僚も考えてはいないようである。
「富」というのは何も直接的な利益のことを差しているのではない。
日本国民は、自分の将来に不安があるのだ。
将来、年金は受け取れるのか?
税金が上がってしまうのか?
病気になったら病院にかかれるのか?等など不安なことばかりであろう。
北欧のように税金が高くても、将来の心配がない社会の方が、むしろ安心して生活がおくれるのではないだろうか?
日本の税制も政策も、中途半端過ぎる。
一本の太い方針が無いから、あっちにフラフラ、こっちにフラフラして、毎年のようにブレていく。国民は、その都度、自分の生活設計を変更しなければならないから消費に回そうなんて考えない。将来を考えたら、国の世話になどなれないから貯金をしておこうとするだろう。
「将来への漠然とした不安」それこそが、この失われた20年の根本原因だったのではないだろうか?
景気は「気」である。将来に対しての不安がなくなれば、安い給料でも生活できるとなるだろう。
不安があるから、自分でお金を囲いこもうとするのだ。それはお金を循環させないから景気は悪くなる。
「金は天下の回りもの」である。政府のやることは、その場しのぎのバラマキではなく、将来の不安を取り除くことだ。本当の骨太の政策をする政治家が現われて欲しいと切に願うものである。