今日は「建国記念の日」であるという。確か昔は「建国記念日」と言っていたはずだが、いつの頃から「の」が入ったのだろうか?
と思っていたら、新聞にそのことが載っていた。
この祝日は以前から、賛成派と反対派が対立していることは分かっていたが、政府が「の」を入れることで印象を和らげようという意図があることらしい。
まぁ、確かにかつての「紀元節」は、神話の記述を基にしたものだからそれこそ起源がかなりアヤシイことはあるだろうが・・・。
でも、昭和20年8月15日の終戦記念日を新たな日本の始まりということにはならないだろうから、何時が日本の始まりかを神話に求めるのも考え方の一つであろう。それが、即「神国日本」の復活ということにはならないのではないだろうか?
古代の日本史をいろいろと調べていると「天皇」とは何ぞや?ということを考えざるを得なくなる。
日本に於いては、古代より今日に至るまで「天皇」は絶対君主ではなかったと思う。
天皇は古代から「祭主」的な象徴であったから、古くから荘園という「金力」を持っていた藤原氏、「軍」という力をを持つ豪族や侍や軍隊にうまく担ぎ上げられていただけではないだろうか?(中には権力を持とうとした天皇も居たが・・・)
しかし、日本はだからこそ良かったのではないかと考える。
中国の様に「力」を持った人間が皇帝となって天下を取ると、その「力」以上の「力」を持った人間が、取って替わろうとして、その度に争いが起こり政権が大きく変わるからだ。
中国では現政権の前は、蒙古人の支配する清であったし、それ以前にも蒙古人のジンギスカンの末裔のフビライハンが皇帝になった。支配する民族がガラリと替わるのだから、当然、文化も変わる。その度にそれに合わせなければならない庶民は大変であろう。
その点、日本は政権は変われども、象徴としての天皇をずっと頂き続けていたからこそ、まだまとまっているのではないだろうか?
祭日のことで目くじら立ててる人は、明治維新以後から第二次世界大戦終戦までの軍閥の支配体制がトラウマになっているのかもしれない。
長い歴史の中では、特殊なことであったと思うし、現在の天皇家に日本を支配しようなんて気はまったくないだろう。
私は天皇制が悪いとは思わない。むしろ天皇を利用しようとする輩が出ないように気を付けなければならない。
そんなことを思いながら、本屋に行って関裕二の「ヤマト王権と古代史十台事件」という本を買って来て読んだ。
「建国記念の日」はただ祝うだけではなく、そういう勉強をする日にしたら面白いかも・・・。
今年は何だか休日ばかりの様な気がして仕様がない。成人の日の3連休があったし、その後に葬儀が続いたこともある。曜日の感覚が狂ってしまっている。認知症になると曜日が分からなくなると云うから、これも年を取ったということなのか?