お年寄りの遺族が、子どもの両親に損害賠償を求めた裁判で、最高裁が1、2審の判決を覆し、遺族側の請求を棄却する判決を言い渡した。両親側の逆転勝訴である。
この裁判が起こされ、遺族側が訴えた時(1審の判決が出た時)にもニュースになったと云う記憶があるが、その時にも、そんな馬鹿な!と感じた裁判結果であった。
私は訴えた遺族側に違和感を覚えたのであった。
事故の概要は、2004年2月、この少年(当時11歳)は学校の校庭でサッカーのフリーキックの練習をしていた。蹴ったボールが飛び過ぎて、ゴールの上を越え、高さ1.3mの塀や幅1.8mの側溝を乗り越えて道路に飛び出した。
たまたま、そこにバイクで通りかかった当時85歳の男性が、このボールを避けようとして転倒し足の骨などを骨折し入院したが、この事故の1年4ヶ月後に肺炎で死亡した。遺族は、この少年の両親に損害賠償を求め、2審判決では両親に1180万円の賠償を命じていた。というものだ。
当時の感想としては、「85歳の老人がバイクを運転?!」「1年4ヶ月後に肺炎で死亡と事故との因果関係は?」であった。
日本もアメリカ並みの訴訟社会になってきたかというものであった。アメリカみたいに弁護士の人数を増やすとロクなことにならない。弁護士も生活の為に訴訟を奨励するようになってしまうからだ。
人間は必ずいつかは死ぬものだ。それはこの世に生まれてきた生きとし生けるものの避けられない運命である。
日本人男性の平均寿命が去年80歳になった。その平均寿命を超えて生きた男性の死亡に損害賠償請求と云うのには違和感がある。
85歳でバイクを運転というのも引っ掛かる。運動神経、反射神経、動体視力など若い頃から較べれば格段に低下しているはずである。本来なら免許証を返上させなければならない様な年齢の老人に、まだバイクを運転させていた家族ってどういう人達なんだろう。もしも逆にこの老人が重大な事故を起こしかねない危険性だってあるだろうに・・・。
事故の1年4ヶ月も後に肺炎で亡くなったなら、この事故との因果関係はどうなんだろう。85歳であれば、風邪をこじらせれば普通に肺炎に罹るものだろう。
平均寿命よりも長生きしたのなら、それでよしとして諦めなければならない。人はいつかは死ぬんだから。これからの未来がある若者に罪の意識を持たせて賠償金を取ってなんになるのだろう。遺族には気まずい思いがなかったのだろうか?
学校の校庭で、通常のサッカーの練習中に起きた不幸な事故であろう。
こんな事故を、裁判に訴える遺族の考え方が理解できないし、賠償請求を認めた1、2審の判決もまるで理解ができなかった。
こんな判決が認められれば、子どもを産み育てたいと云う人達はますます減るだろう。子どもを常に監視していろというに等しいからだ。
最高裁の今回の判決内容は、良識ある判断だと思う。
また少年の父親のコメントも遺族側の心情を慮った良識あるコメントであると評価する。
可哀想なのは、11歳からの多感な時期の11年間も、加害者としての意識を持たされ続けた少年である。
裁判はもっと迅速にするべきである。彼こそ被害者であろう。