«前の日記(■2015-07-02-Thursday) 最新 次の日記(■2015-07-04-Saturday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-07-03-Friday フランスの

今日3日の北海道新聞夕刊の

「カルチャーPlus+」欄にフランスの「マジック博物館」の紹介記事が大きく取り上げられていた。

「林瑞絵のパリ通信(10)」に、1998年に開館された、近代奇術の父と云われるロベール・ウーダンの功績をたたえた博物館のことが載っていたのだ。フランス中西部のロワール地方のブロワという町にあるという。

恐らく、マジックに興味の無い人、特に日本人ならほとんどの人が、ロベール・ウーダンなんて知らないと思うが・・・。

ウーダンは1805年に時計職人の息子として生まれ、自身も時計職人になる。職人としては優秀で、からくり時計や自動人形や色々な発明品を作り評判をとる。22歳頃から興味を持ったマジシャンの夢断ちがたく、40歳で職人を辞めて遅咲きのプロマジシャンになる。

1845年にパリに自らの名前を冠した「ロベール・ウーダン劇場」をオープンさせた。

マジシャンが映画を造ったのだと云われているが、この劇場は、後年、映画の祖として有名なジョルジュ・メリエスが買い取って映画を上映したことでも知られている。

メリエスの映画はマジックの要素を取り入れているのである。中世時代からの黒魔術的な魔法使いの様な扮装で演じられていたマジックを、正装である燕尾服を着て演じ、近代的な演出を行なった。彼の創作した「人体浮遊術」は、日本でも明治時代に「邯鄲の夢枕」と題して演じられた。このマジックは現代でも基本トリックは同様のものが演じられている古典でもある。

ちなみに、アメリカの脱出王として有名なマジシャン「ハリー・フーディニ」のフーディニと云う芸名は「ウーダン」の英語読みである。

ウーダンは、マジックを使って、アフリカの植民地の大使としても活躍した、フランス政府に従わない現地住民の魔術士とマジック対決して勝ち、統治に成功したと伝えられている。

この「ロベール・ウーダン マジック博物館」は公共施設で、しかもヨーロッパ唯一の専用劇場付きなのだそうだ。

是非とも見学して、私のマジック博物館の参考にしたいものである。