故ジミー忍(聖忍)師夫人のマコママが帯広に来た。
「仮称:マジック博物館」のプレ・オープン式を、ジミー師ゆかりの12月3日の「奇術の日」に開催したいと云う希望を叶えるためである。
私の、日々の作業時間は、仕事の合間にやっている関係から、せいぜいが一日に1〜2時間程度でしかない。
まずは、2007年4月から「マジック図書館」の整備を始め、「仮称:マジック博物館」の方の作業を開始したは2011年からであるが・・・。
翌2012年と云う年が劇的な状況変化を私に与えたのであった。
2012年1月末に、母校である帯広柏葉高校の同窓会新年会に出席した私の横に、隣のクラスにいた植田君が座ったのである。彼の父親の植田広志さんは十勝では有名なアマチュアマジシャンであったが前年にお亡くなりになっていた。
その父親の集めたマジック道具が自宅に一部屋分あるが、家族は処分に困っているので貰ってくれないかと云うのである。私にとってはとても嬉しい話である。その年の初夏に植田家を訪ねて、一日掛かりでマジック道具を会社に運び込んだのであった。
2012年6月に上京し、マコママが経営していたマジックスナック「魔法の小箱」を訪ねると、7月末で魔法の小箱を閉店すると言うのである。
8月になると、マコママから送られてきた段ボール箱が毎日数個ずつも会社に届くようになったのであった。
とりあえず会社のデッドスペースに運び込み、床にブルーシートを敷いて、並べていき、分類作業を開始したのだが、あまりの膨大な量に、気が遠くなるような感覚であった。
この、どんなマジックの道具があるのかという地味〜な作業が2年も続いたのである。
まだまだ調査分類作業の途中であった2014年11月に、マコママから「マジック博物館はまだかねぇ〜、私の目の黒い内に完成させてヤ〜」と言う電話が入り、帯広に見に来るというので、床に置いたままの状態では、まずいと思って、急遽、「トランプの壁」を製作したのであっった。
本来なら、全ての分類が終わってから、博物館の展示方法や配置などを考えて、設計図を作製してから取りかかろうと思っていたのだが・・・。
結局、マコママに発破を掛けられて、展示しながら完成させると云うことになったのっだった。
その後も今年6月に視察に来るというので作業を早め、12月3日にプレ・オープン式をすると云うので、更にスピードをアップした。
正式オープンが来年7月中旬と云うスケジュールを半年以上も早めようと云うのだから、かなりの無理があるのであるが・・・。
それでも、人間、切羽詰まれば何とかなるもんである。
私のことだから、マコママが発破を掛けてくれなければ、きっとまだ分類作業の途中であったことだろう。
どうやら、マコママからのプレッシャーが良い方向に向かっているようである。