西雪博志(公啓)が亡くなった。
2年前(2013年1月)に肺炎で第一病院に入院した時に、これは・・・・と思って一旦は心構えをしたのだったが・・・。
そこから、復活して退院し、厚生病院の訪問看護と、おとふけホームクリニックの阿部先生の訪問診療を受けることで、自宅で療養できるまでになったので、私の心構えの方がすっかり何処かに行ってしまっていたようなのである。
葬儀の施主を務めるのは、父の時と今回の2回目なのであるが、私の父が亡くなったのは24年ほども前のことであるから、すっかり葬儀のやり方も忘れてしまっていたのである。
まさか今朝亡くなるとは思ってもいなかったので、葬儀のやり方を調べ直す時間がまったくなかったのだった。
仕方がないから思い出しながら対応することにしたのであった。
義父の希望は、人間の尊厳を失わせるような治療をする病院には二度と入りたくない。自宅で死にたいというものであった。
自宅で亡くなると、警察による検死を受けたりとか、倒れた時点で救急車で病院に運ばれるということになるのだが、介護ショップ「シニアケアーショップ パーム」を経営していて、その辺りの知識が豊富な妻は、その希望を叶えるべく訪問医療という方法を選択したのであった。
義父は、その希望通りに自宅で亡くなったが、訪問医療を受けていたので、まずは、看護士、次にはお医者さんに来てもらい死亡の確認等をしてもらったことで自宅を出ることなく臨終したのである。
次には、お坊さんに枕経もあげてもらわなければならないから、菩提寺の真宗大谷派帯広別院、通称東別院に電話したのだが、土曜日だからなのか電話が繋がらない。
その間に、公益社に電話して葬儀の依頼をする。
公益社やお坊さんが来る前に、主だった親類や関係者に連絡をする。
お寺には何度か、電話している内にようやく繋がって、枕経をあげてもらうことができた。
まずは、葬儀の場所や日程を決めなければならない。公益社とお坊さんと私と妻とで打ち合わせをする。
31日は土曜日、1日は日曜日で休み、3日も文化の日で休日である。
義父は亡くなる前に、自分の葬儀に際しての指示をいくつかしていたが、前日に手を握り締められて頼まれた以上は、立派に務めを果たさねばならないが・・・、もう少し葬儀のやり方を調べる時間が欲しかったなぁ〜。
まさか翌日なんて・・・。
休みが続くからなのか、法事も入っているので、お坊さんの手配と斎場の手配と焼場の手配が上手く噛み合わないのだ。
あれこれと調整して、結局、3日に通夜、4日の葬儀という日程に決まったのだったが、通夜までには3日間もある。
遠くに居る親類や、家族などにとっては、勤め先などへの連絡や調整がし易いし、交通手段の手配にも時間的余裕があるから都合がつけ易いであろうが、施主の私にとっては、実に長〜い時間である。