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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-02-08-Monday 収集癖

私の収集癖は・・・、

どうやらDNAの為せる技であるようだ。

夕食時に母と、祖母ハナの話になった。祖母のは収集癖と云うよりも「捨てられない」性格であった。

明治生まれの人の特徴のひとつでもあろうが、モッタイナイと云う意識が強烈であったと思う。

我が家は昭和42年の火事で、会社兼住宅を全焼するまで、大正14年から帯広の街のド真ん中である西2条南9丁目で生活をしていた。

駅に近いこともあったし、商売をやっていたから、問屋などの出入りが多い家でもあった。

東京方面からの来客が土産に持ってくるのは、日持ちのするコロンバンの缶入りクッキーが多かったが・・・。

祖母は、缶は勿論のこと保存して小物入れなどに活用していたし、紐はハサミで切らずに結び目をほどいてから保存し、包装紙も破れないように丁寧にはがして畳んで保存し、切ってメモ書きにしたりしていた。缶の口の周りにビニールテープで封をしているが、そのビニールテープすら保存していた(糊が劣化してベタベタになって使用できないが・・・)。

家中が倉庫のようで、モノで溢れていた。

ハナの兄である有田重太郎は「紙」類の収集で有名であった。有田紙店という店をやっていたから「紙」に思い入れがあったのだろう。「紙」であれば「切手」「ハガキ」「箸袋」「タバコの包装紙」に至るまでありとあらゆる紙を集めていたから、有田家には収集癖の血があるのかもしれない。

祖父の勝は、母が父と結婚する前に亡くなっていたから面識はなかったが、かつて聞いた父の話では、モッタイナイ病 + 新しモノ好きと云う側面があったという。

その祖父と祖母から生まれた父は、双方のDNAが凝縮されて、捨てられない人であったし、祖父に輪をかけた新しモノ好きであった。

テレビは私が生まれた直後(昭和33年)からあったと云うし、ダンスホールをやっていたから、テープレコーダーやらステレオ等もあった。

もし火事にならなければ我が家にあった品物だけで「百年記念館」が作れたくらいではなかろうか。

その父の血を引く私は、そのDNAが更に凝縮されているようだ。私は4人兄弟であるが、他の3人には収集癖と云えるようなものはほとんどない。極普通の所有欲程度のものである。他の3人の兄弟の分まで私に凝縮されてしまったようである。

小学2年生から始めた「切手」「コイン」収集に始まり、「レコード」「レーザーディスク」「洋酒」「ディズニーキャラクター」「マリリン・モンローグッズ」等など・・・。

「女性」を集めないだけまだマシだ。と言われるくらい何でも集める癖がある。

「切手」は中学3年生の時に、これ以上集めるのは努力ではなく金しかないと思って止めた。

「コイン」は海外旅行する度に現地のコインを一通り集めていたし、マジックに使用する為に大きめの銀貨を集めていたが、これも今ではほとんど止めてしまった。

「レコード」と「レーザーディスク」は時代遅れになったし、「洋酒」も昔は海外旅行の度に税金の掛からない3本ずつを購入していたが、日本で安く買えるようになったのでこれも止めてしまった。

「ディズニーキャラクター」は子供が小さかった頃にはかなり集めたが、子供らが大人になったので止めた。

いまだに続いているのは「マリリン・モンロー・グッズ」の収集くらいである。

集める時には、ガァ〜ッと集中してやるが、飽きるとキッパリと止めてしまうのである。

7月中旬のオープンを目指して、現在「マジック・ミュージアム」を整備中であるが、これは私のコレクションだけで構成しているものではない。

「マジック・ミュージアム」が一段落したら、今度は「坂本コレクション」と云う博物館でも作ろうかなぁ〜。