芳林堂書店は、東京の高田馬場や池袋西口などで9店舗を運営していた大手書店で、私も大学生時代に池袋に住んでいた頃はよく通っていた書店である。
1976(昭和51)年から2年間、池袋に姉と二人でアパートで暮らしていたが、元来、読書が大好きであるから、駅の乗降口であった池袋駅西口前にあった芳林堂書店には足繁く通っていたものだった。
西口には立教大学があり、当時は、古本屋もたくさんあったので、新古の本屋巡りを楽しんでいたのである。
この池袋の芳林堂には、単なる書店とは別の思い出もある。
私が、マジックの師匠であるジミー(聖)忍師と出会うキッカケを作ってくれた人物の店が、この芳林堂池袋西口店にあったからだ。
その人物とは「堤芳郎」さんである。
当時は、文房具屋の社長さんで、自宅兼店舗は江古田にあったが、支店がこの芳林堂池袋西口店内にあったのである。
1976年2月に大学受験の為に数週間東京のホテルに滞在していた。
この間、毎日のように水道橋駅近くのマジックショップ「トリックス神田神保町店」に通ったのだった。
高校生時代に「トリックス」と云うマジックメーカーの「あなたのアイデアがマジックの製品になる云々」と云う広告を見て、応募を繰り返していた。ただ残念ながら、ひとつも採用はされなかったが・・・。
北海道の片田舎のマジックの情報が乏しい中で、自分で考えたつもりでいても、既に似た様な製品が世に出ていたのを知らなかったと云うだけなのであるが・・・。
この「トリックス」の神田神保町店には「布目貫一」さんと云う浪曲奇術で有名な先生が居て、私の送ったアイデアに対して、毎回丁寧に講評をしてくれて「東京に出て来る機会があったら顔を出しなさい」と手紙に書いてくれていたのである。
高2の修学旅行の、東京での小グループでの自由時間の際に、嫌がる仲間を強引に連れて、訪ねていったのであった。
このマジックショップにはプロマジシャンの人達も大勢来ていた。壁にはビニール袋に入れられた「奇術研究(力書房)」という薄い奇術専門雑誌がズラ〜ッと飾ってあって、それが良い装飾になっており、狭いけれども、いわゆる「プロショップ」的な雰囲気のある店であった。
この店で「堤芳郎」さんに偶然お会いしたのだが「今度、引田天功さんがマジック道場という名称でショーをやり、私も出演する。その時に貴方に助手をやってもらいたい」と依頼されたのである。
「引田天功」と云う名前は、北海道の片田舎のマジック情報に疎い私にとっては一番のビッグネームである。
「ハイ、喜んで!」と即座に引き受けたのであったが、実はこの時点ではまだ、どこの大学にも合格していなかったのであった。
遅くに駒澤大学に入学が決まったから、下宿はどこも既に埋まっていて、まったくみつからない、ようやく世田谷の下馬に見つけたが3畳一間の狭〜い下宿であった。
大学も下宿も決まり、もらっていた名刺で、堤さんに連絡を入れると『4・5・6月と3回やる「引田天功のマジック道場」の打ち合わせの為に、舞台監督をするジミー忍さんの家に挨拶に行くから一緒に行こう』と誘われた。
当時、ジミー忍師のマンションは下北沢駅の近くの代沢と云う場所にあった。
まだ、この時点では地下鉄は完成していないから、下馬 → 三軒茶屋 → 渋谷 までバスを乗り換えて行く。渋谷から下北沢まで京王井の頭線に乗って行くというルートで出掛けた。
初めて会ったジミー忍師から「何処に住んでいる?」と聞かれ「下馬です」と答えると「どうやって此処まで来た?」と聞くので、先のルートの説明をしたら、大笑いされたのだった。
「大学はどこだ?」と聞かれ「駒大です」と答えると「そうか!俺もコマダだ!」と云う。「エッそうなんですか?」と聞くと本名が「駒田」だと笑う。それが初めてのやりとりであった。
三軒茶屋から代沢通りをバスに乗れば10分で来る距離だ。歩いても20分程度の距離だと教えられた。公共交通機関の特に鉄道を基にして移動を考えるからこう云うことになったが、実は歩いた方が早くて安いということが分かったのであった。
そんなやり取りから打ち合わせが始まったが、「引田天功のマジック道場」はプロマジシャン、アマチュアマジシャン、学生マジシャンも出演するから、君も演技者として出てみないか?」と言われたのである。
帯広でもステージの経験が無いと云うと、「せっかくのチャンスなんだから、私が指導してあげるからやりなさい」と言われたのである。
師の自宅と私の下宿は自転車だと10分程度でしかない。
それから、毎日の様に通うことになるのである。
そんな弟子入りのキッカケを与えてくれた堤さんとは、私がその年の秋に池袋に引っ越したこともあり、その後も頻繁に行き来するようになった。
後年、堤さんは文房具屋を止めて「魔法陣」と云うマジックショップをこの芳林堂池袋西口店に作ることになる。
そんな思い出深い芳林堂がつぶれたというのも、なんだかショックな話しであるなぁ。