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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-06-24-Friday 言霊

日本人の言霊信仰と云うのは・・・、

井沢元彦ではないが、日本人は言霊に支配されているようだ。言霊信仰というのは、飛鳥時代にはかなり浸透していたようであるから、恐らく卑弥呼の時代辺りから存在していたのではなかろうか?

そうなると現代までの3千年位も日本人の心理に影響を与えていたことになる。

どっぷりと浸かっているから、日本人の身体の隅々にまで浸透している。こうなると、これはもはや信仰や宗教やと云うよりも気質になってしまっているのだろう。

脱却は難しいのかもしれない。

更に、江戸時代に、幕府は朱子学を奨励したから、親への孝が重要視されるようになったが・・・。

しかし、日本人の気質として、大勢が言い出すと、急に変節して右習えする気質もある。

昨今の、介護の問題を見ていると、麻生大臣が例の失言(?)で「90歳の老人にいつまで生きてるつもりだ・・・」云々の発言をしたと云う報道が週刊誌に載っていた。

これが2年位前だと、大問題になる発言であろうが、今回は、多くの人が「そうだよなぁ〜」と感じたのか、さほど大きな失言にはならなかったようである。

寝たきりになって、自分で食事や呼吸も出来ず、全身管だらけで機械によって生きながらえさせる治療が、果たして本人にとって、また家族にとって良いことなのかという疑問を感じる人の数が増えてきたということだろう。

これはとりもなおさず、そう云う実体験をしている人間が増えて来た証拠であろう。

親が90歳代であれば、その子どもは60〜70歳代であろう。「老老介護」と云う言葉もあるが、老人が老人の世話をすることになる。

これも大きな問題であるが、それ以上に問題なのは、親が70歳代で介護が必要になるケースであろう、その子どもは40〜50歳代で、自分の子どもは10〜20歳代だとしたら、まだ学費の負担などもあるであろう。

親と子どもの両方に金が掛かることになる。

子どもは将来、就職してお金を稼ぐようになれば負担はなくなるが、親の方は回復する見込みがあるならまだしも、その見込みがなく、ただ死ぬのを待っているような状態で、医療費やら介護費やらが掛かれば、これから生きていかなければならない世代に大きな負担が掛かる。

親への孝と言ったって、1年位なら育ててもらった恩に報いる為に頑張れるであろうが、いつまで治療が続くか分からない状態では、先が見えずに、希望も持てずにただツライだけであろう。

意識が無くて、管に繋がれて生かされている患者本人にとっても、それが果たして幸せなのだろうか?それが孝なのだろうか?ということに多くの日本人が気付き始めたのではないだろうか?

おそらく、これからの日本は急激に、尊厳死の論争が増えるであろう。