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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-07-28-Thursday 来客

16日に一般公開を開始したマジック・ミュージアムに

懐かしい方が訪れてくれた。

今から30年前の1986年頃のことである。

当時、父の運営する寄合デパートの「サニーデパート」は新築のビルにテナントをを引き抜かれて歯抜け状態であった。

起死回生策を考えろとの父である社長から厳命を受け、専務であった私が導き出した答えが「子どものビルへの特化」であった。

最初は「子どもの数が減っていて需要も減るであろうに、子どもに特化するのは・・・」と社員の全員が反対した。

私の理屈は「子どもの数は減るが、商品に金を払うのは大人である」「長寿時代になり、子どもの親、それぞれの祖父母と、財布は6つもある」「子どもの数が減るほど、子ども一人に掛ける金額は大きくなる」というものであった。

いわゆる逆転の発想というやつで、マジック的思考法により導き出した理論である。

珍しく社長である父が「やってみろ!」とGOサインを出してくれた。

入居しているテナントさんに、本店では通常の品物、サニーデパートでは子どもの品物と商品を分けて欲しいと説得し、お願いをして歩いた。

食べ物から塾まで、あらゆる分野で子どもに特化したモノを集合させる計画であった。

ちょうど、帯広ー広尾間を走るJR広尾線と云うローカル線が廃止されることになったが、愛国ー幸福と云う駅名で有名であったし、広尾がサンタランドに認定されている等のことから、東京自由が丘で子どもの専門店「チルドレンミュージアム」を展開していた。BATSU、キャプテンサンタ、グランパパの3社長、特に俳優の津川雅彦さんが、帯広に何度も足を運んでいた。

広尾線を復活させて十勝にサンタランドを造ろうと云う計画である。子どものビル化計画を立案していた私が、十勝の事務局長的な仕事をするようになり、この計画が全国レベルで動き始めたのであった。

「おもちゃ」の関係で、葉佐商品研究所の葉佐弘明さんを紹介され、玩具の部門でいろいろとアドバイスを頂いていたのである。

その後、残念ながら、この「子どもの専門店ビル計画」はとん挫することになる。

今回、30年振りにマジック・ミュージアムを訪ねて下さったのである。

実に懐かしい。お互いに年を取ったが、若かりし頃のエネルギッシュな仕事振りが思い出されて昔話に花が咲いた。

不思議な縁が甦る。マジックの持つ魅力にはこんなところにもあるのかもしれないなぁ〜。