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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-08-23-Tuesday 不思議なつながり

7月16日に一般公開を始めたマジック・ミュージアムであるが、

今日は、不思議な縁を感じる来客があった。

以前にも、このブログにも書いたと思う(最近記憶力が落ちて書いたことを忘れる)が・・・、その拙い記憶を辿ると、

1996年に、十勝環境ラボラトリー(TKL)と云う「まちづくり」の組織を作り、十勝を地球環境のモデル地域にしようと考えて、同時に9つのプロジェクトを展開していた。

そのプロジェクトのひとつに、アイヌの口承民話を絵本にして出版する「童話プロジェクト」があり、協力してもらったのは作家の寮美千子さんであったが、彼女の夫が、数年前に、沖縄で札幌出身のカメラマンと一緒に仕事をした際に、そのカメラマンの父親が昭和の初期に北海道で活躍したプロマジシャンの勇崎天暁であることを知ったと云う。

私は、2007年4月からマジック・ミュージアムの準備を始めたが、「マジックなら坂本だ!」と思ったのか、私にその顛末をメールで知らせて来たのであった。

ちょうど折りしも、東京堂出版と云うマジックの本を多数出版している会社が「マジックグッズ・コレクション(土屋理義著)(2009年12月5日発行)」と云う本を発行したが、その中(26〜27ページ)に「北都の奇術師ー勇崎天暁の魔奇術研究」なる項目があるが、私はこの本を出版と同時に購入し、読んでいた。

この文章の中に「十勝毎日新聞」やら「帯広(藤丸)」などの文字を見つけ、帯広にも縁がある人だったんだなぁ〜くらいは思っていたが・・・。

思わぬ朗報に、そのカメラマンのメールアドレスを教えてもらい。何度かやり取りをしていたが「自分はあまり詳しくない。札幌に兄が居て、その兄は父親と一緒にステージに立って助手もやったことがあるから、そちらに聞いて欲しい」とお兄さんの勇崎建夫さんのメールアドレスを教えてもらった。

何度かやり取りしながら、札幌出張の際に、そのカメラマンのお兄さんである勇崎建夫さんに会いに行って天暁さんの話を聞かせてもらったのであった。

ほぼ同時期に、マジック・ミュージアムの展示物を充実させる作業をしている内に、横浜のマジック愛好家の植木將一さんと文通をするようになったが、その植木さんから「北海道に勇崎天暁と云うマジシャンがいたらしいが、同じ北海道なら知りませんか?」との問い掛けがあった。

何と云う偶然であろうか!

勇崎建夫さんから伺ったばかりの話を、植木さんにもお伝えしたのであった。

その勇崎建夫さんが、マジック・ミュージアムの一般公開に際して、天暁師の事績をA全版8枚のパネルにして寄贈してくれたのだが、その中の一枚に面白い内容があって驚いたのである。

それは何と「ゴジラ」の曲で有名な作曲家の伊福部昭氏と天暁師との繋がりであった。

伊福部昭は、日本クラッシック界の巨匠としても有名であるが、釧路の生まれで、帯広市の隣町の音更町にも暮らしたことがあり、今年の夏に公開される映画「シンゴジラ」で再度脚光を浴びている。

音更町も地元出身の有名人と云うことで顕彰会を作ったりしているという記事が新聞に載っていたが・・・。

勇崎天暁の実妹で舞踏家の勇崎愛子(本名アイ)さんが、伊福部昭の妻なのであった。

贈られたパネルのその記事を読んで「へえ〜そうだったのか!」と驚いたのであった。

その伊福部昭の長女の玲さんと勇崎建夫さんらが8月中旬頃にマジック・ミュージアムを訪れたいという連絡が入ったのだ。一瞬、伊福部?と思ったのだが、そうか!勇崎さんとは従兄弟同士と云うことになる訳だな納得した。

勇崎建夫さん夫婦と伊福部玲さんと恵庭在住のいとこの4人で、伊福部昭の足跡を辿る旅を8月中旬にすると云う。

釧路から音更に入るついでにマジック・ミュージアムの見学をしたいとのことである。

23日の午前中に帯広入りすると云う。

ちょうど台風が道東方面に襲来しているから来られるかと心配していたが、無事に到着された。

伊福部玲さんは、陶芸家である。きれいな銀髪で芸術家と云うオーラを醸し出している。

マジック・ミュージアムを見ながら、自分の結婚式で天暁師が鳩出しのマジックを演じてくれたという思い出話もしてくれた。

一緒に昼食を取りながら、楽しく有意義な一時を過ごせた。

勇崎建夫さんも、今回のパネル制作を機に、天暁師の事績をもっと調べたい、そしてパネルを追加で寄贈すると言ってくれた。

ますますマジック・ミュージアムの展示物が充実していく。嬉しいことである。