「北の屋台」に関して話しを聞かせて欲しいとの依頼があった。
辞めてから既に9年にもなると云うのに???と思っていたが・・・。
北の屋台は、2001年7月29日が開業であるから15周年と云うことで再検証をするということらしい。
一件は東京大学教養学部の学生さんから依頼で、もう1件は十勝毎日新聞社からの依頼である。
「北の屋台」は「十勝環境ラボラトリー(TKL)(活動期間は1996〜2006年の10年間)」の9つのプロジェクトの一つ「中心市街地活性化プロジェクト」が発展したものを、独立させたものである。
1999年の4月頃から「まちづくり・ひとづくり交流会」と云う組織を立ち上げて「自分たちの資金と行動力で出来るまちづくり」を標榜して始めた事業である。
メンバーの一人であった点字図書館の後藤健市君が「屋台でまちづくりって面白いんじゃないだろうか?との提案を受けて「屋台」の調査研究を開始したが、私は最初は乗り気ではなかったのである。
帯広市の中心街で生まれ育った私が幼少の頃には、まだ帯広の中心街には「屋台」が存在していた。非衛生的で汚ないイメージがあったので「屋台なんかでまちづくり???」と疑問に思っていたのである。
転機になったのは99年6月末に、私が帯広商工会議所の議員としてアメリカの視察旅行に参加した時のことだ。屋台の資料が集まらない中で、屋台は世界共通のものであろうから、訪問する都市に屋台があったら写真をバシャバシャと撮ってこようと思ったのである。
シアトル、ポートランド、ロサンゼルスなどの街を視察したが、どこの街にも屋台があって賑わっていた様子と、洒落たデザインの屋台を見て、私もこれならイケル!と思い直したのであった。結局100枚近くの屋台の写真を撮影して来て、帰国後にメンバー皆に披露したことから、一気に屋台が盛り上がったのであった。
講演を盛んにやっていた頃には、こう云った話がスラスラと出て来たのだが、ここ最近は、屋台の講演が少ないから、どうも云い忘れてしまうこと多い。
講演では90分間にまとめる話を1時間でと言われても難しい。北の屋台にはエピソードが多過ぎるくらいにあるからだ。
現在の「北の屋台」の事務局には、この当時に一緒に活動していたメンバーは一人も居ないから、それがシッカリと継承されているのかは不明である。
屋台は、世界共通の商売の原点であるから、これまでに数百年間に渡って先人の経験と知恵が凝縮されている。屋台の大きさ然り、カウンターの形然り、暖簾しかりである。
その意味を正しく理解した上で、新しいことにチャレンジするのは良いのだが、その意味を正しく理解しないで、新しくすることは改悪に繋がり易い。
必ずしも開設当時の理念を引き継ぐ必要はないかもしれないが、「飲食店街」を作る為に始めたわけではない。「まちづくり」としての意義は残して欲しいと思う。