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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2017-01-30-Monday 勝毎「論壇」

2017年1月30日十勝毎日新聞「論壇」欄掲載

「マジシャンと映像文化」

あまり知られていないが、実はマジシャンは映画の先駆者である。

19世紀のヨーロッパではマジックは娯楽の王様であった。ロンドンには「エジプシャンホール」、パリにはロベール・ウーダン(Robert・Houdin 1805-1871年)が1845年に自らの名前を冠したマジック専門の劇場を造って近代的なマジックを上演していた。

ウーダン以前の魔術師たちは、ハリー・ポッターのダンブルドア校長のようなダブダブの服にとんがり帽子の装いで中世の黒魔術的な演出の奇術をしていたが、ウーダンはえんび服を着て照明を使い明るくスマートに演じたことなどから「近代奇術の父」とも呼ばれている。

ちなみに映画「魔術師の恋」のモデルにもなったアメリカの奇術師、脱出王ハリー・フーディニ(Harry・Houdini 1874-1926年)の名は、ウーダンの英語読みから取った芸名である。

ウーダンの死後、この劇場で支配人としてマジックを演じていた奇術師のジョルジュ・メリエス(1861-1938)は、後に現在の映画の元になったシネマトグラフを発明するリュミエール兄弟にこの劇場の空室をあっせんしたりもしている。メリエスは1895年12月にシネマトグラフがパリで初上映されたのを見て、すっかり映画の将来性に魅了され、翌96年には世界最初の映画スタジオを設け、自身で作品を作り始めた。

つまり世界初の映画監督はマジシャンなのであった。彼はストップモーションなどの技法も開発し「月世界旅行(1902年)」などの不思議な映像作品を多数作り出した。今日のSF映画の元祖と言っても過言ではない。

日本の忍者映画でも、ガマの妖術を使う児雷也(じらいや)がパッと変身する場面や忍者が消える場面などでは、この原理が応用されている。つまり、映画とはマジックに代わる不思議を見せる娯楽であったわけだ。

映画を作るには高額な費用が掛るが、一般家庭にもビデオが普及し、更にデジタル化された現代では、誰もが不思議な映像を安価で簡単に作れるようになり、YouTubeなどのネットメディアに投稿する「6秒の魔術師」と呼ばれるザック・キングらの人たちが増えている。しかし、不思議さというのは画面を通すと半減するものである。カメラのトリック撮影やCGが広く一般に知れ渡ってしまったからだ。知識の普及には種明しと同じ効果があるのだ。

近年、テレビのマジック番組でも、カメラトリックを多用するマジシャンが登場したが、やはりマジックは生で見るのが一番良い。マジック・ミュージアムでも実演を増やすようにしたいと思っている。