よっぽど読みたい事柄などがあった時には、朝方に病室まで「朝刊ですよ〜」と販売に来る人から購入していたが、51日間の入院で3回しか購入しなかったほどだ。
新聞は宅配でしか購入したことがないし、その支払いすらもしたことがないから新聞の値段を知らなかったが・・・。朝刊が一部140円だと聞いて一瞬高いなぁ〜と感じたのである。しかし、よくよく考えてみたら別段そう高いと云うことはないなぁとも思った。それくらい情報が満載だし、取材の経費も相当に掛かっているはずだからだ。だが・・・。
惰性で新聞購読をしていたが、今回の入院で、新聞を読まなくなってから、その必要性が極端に薄れたように感じるのである。
ニュースのスピードはネットの方が遥かに早いし、自分の必要なモノだけ見れば良いし、無料であるし、読み終わった後の処理もいらない。私のような活字中毒患者であっても、新聞を必要としていないことが分かったのである。私にとって無用な情報が多過ぎるのだ。
入院中は暇だから、新聞は暇つぶしに良いのかと思ったのだが、逆だった。新聞を読まなくなったら不要な情報は邪魔でしかなかったのである。自分が対処出来ない状態で情報を目にすると、もどかしさでイライラするのだ。入院生活にニュースは不必要だった。
今回のクダラナイ選挙の事は見たくなかったしね・・・。
今は時代の変わり目であろうが、今後、新聞は社会が必要とはしなくなるのだろうなぁと実感したのだが・・・。
帯広に戻る列車に乗る前に新聞を購入して、久し振りにジックリと新聞を眺めた。
私は現在は「株」をやらないが、父が平成4年に亡くなった際に、父が生前にやっていた20社ほどの株式を相続した。
父は平成2年くらいから身体の具合が悪くて入退院を繰り返していたから株式の売買もストップしていたが、時はバブルが破裂した頃である。
つまり父はバブル時代の高値で株を購入していたのだ。
それでも、父の購入時よりも1円でも高く売れる株はすぐに処分をしたが、数社の株は3分の1や4分の1にまで値が下がっていたから、売るに売れなくて塩漬け状態のまま現在も所有している。
しかし、ここ20年間は何らの売買も行なわず証券会社に預けたまま放置してあるのだ。
列車の中は、病院よりも暇なので株式欄にも目を通してみたら・・・。
何と、株式価格が200円未満でずっと低迷していた某社の株式が2000円以上の値を付けているのを発見したのである。エッ、入院していたこの2ヶ月間で10倍に! きっとスゴイ新製品でも開発したのに違いない。最低取引数のたった1000株しか所有していないが、それでも売れば2百万円にはなると思ったのだ。
さっそく証券会社に連絡して売って欲しいと言ったら「〇〇社の株を100株、売りですね?」と云う。「イヤイヤ百株じゃなくて千株だよ」と言ったら・・・。
「〇〇社は9月末で株式の最低取り扱い数を100株に変更していますから・・・」と云う。
何〜んだ!ぬかよろこびであった。株は再度塩漬けにした。
新聞を読み続けていないとこう云うことが起こるのであるなぁ〜。ガッカリ!