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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-05-16-Wednesday 結婚記念日

私達夫婦の結婚記念日である。

1985(昭和60)年5月16日(木)に結婚式を挙げた。曜日まで憶えているのは、当時の我が社は「サニーデパート」と云う名称で寄り合い百貨店を営んでいたのだが、その定休日が木曜日であったからだ。

定休日でなければ、会社の関係者が出席出来ないからである。

以来、33年の月日が経過したが、よくぞここまで続いたもんである。

傍目には、仲の良い夫婦の様に映っているようであるが・・・。

私と妻は、小学生の時からの同級生である。

男子は女子に比べて、心身の成長が遅い。とりわけ私は、小学6年生の卒業時の身長が133㎝ほどで、同級生の女子よりも頭一つ分小さかったのである。小学校卒業式に着る学生服が、一番小さいサイズでも手が袖にスッポリと隠れるほどであったのだ。

可愛い活発な美少年であったから、女子ともよく遊んだ。一学年上の姉の同級生からは、いまだに「カズアキちゃん」と呼ばれるほど可愛がられたもんである。60歳のおっさんに「ちゃん付け」もないもんだが・・・。

妻とは中学校は別々の学校であったが、高校一年生の時に再び同じクラスになったのである。

帯広柏葉高校は、女子生徒が少ない高校であった。私たちの一学年上までは、男子クラスというのが存在していた。

一学年8クラス中の2クラスが男子だけのクラスなのである。通称「ダンクラ」と呼ばれて暗〜い青春を送った方々である。

私たちの代からは、8クラス全部が男女混合クラスになった。一クラス45名中の15名程が女子生徒になったのである。

それでも女子は3分の1であるから、希少価値というやつで女子生徒は皆モテたのであった。

妻も、自分ではモテたと言っているが・・・、

高3の12月頃に、妻の家に公衆電話(家の置き電話は家族が傍に居るから恥ずかしくて出来ない)から電話して、交際を申し込んだのであったが・・・、実は私に惚れていたのであろう?「お友達としてなら・・・」と云う返事であった(妻は記憶が無いと言う)。

そのお友達が、大学を卒業して26歳の時に、運命の再会をしたのである。

人間と云うものは、偶然の重なりを自分の都合の良い様に解釈して運命だと思い込む。

我が社の所属する商店街の売り出しで「グアム島旅行ご招待セール」と云うのを行った。まだバブリーな頃で懸賞も豪華であった。

私は商店街側の添乗員的な参加、妻は、当選した親類がペットロス症候群で行けなくなった代わりの参加であった。

たまたまグアム島旅行の1ヶ月ほど前に、当時、私が最年少として参加していた経営塾の2歳上の先輩の結婚式の発起人を塾生でやった。

その打ち上げ会で、先輩から「塾生最後の未婚者として、次は坂本君だな!君に紹介したい人が居るんだが・・・」と言われていたのである。

その先輩と云うのが、妻の大学の先輩であった。

だから二人の共通の知人であり、妻を私に紹介するつもりでいたのであった。

その先輩が私達二人をお見合いがてらの食事会に誘ってくれたのが、何とグアム島旅行から帰って来た1週間後の事なのである。「小学校からの同級生だし、高校でも同じクラスだったし、ついこの前、一緒にグアム島にも行って来た・・・」と云ったら先輩の方が驚いたのであった。

その先輩は「何たる偶然だろう!これは君たち二人は赤い糸で結ばれている・・・」と興奮して云う。

更に、妻の姉も坂本姓の北海道民芸品店経営者の長男と結婚しているのである。姉妹2人がともに坂本姓になるというのも偶然であろう。

父親同士も帯広中学(柏葉高校の前身)時代の剣道部の先輩後輩の間柄であった。

そんな、こんなの偶然が一杯重なって結婚することになったのであった。

まぁ、人生というのは面白いもんである。

ここまで33年間一緒に暮らせたのである。親と過ごした時間よりも長くなった。一昨年、昨年には2人とも入院する事態になった。後何年、一緒に健康で過ごせるのだろうかなぁ〜?