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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2019-10-26-Saturday 東京1

6月下旬以来の上京である。

十数年前なら、毎月の様に上京していたのだが・・・、もう上京する用事もすっかり減ってしまった。

それに帯広での生活に慣れてしまうと、東京の喧騒が心身共に疲れるのである。あまり上京したいとも思わなくなった。もうすっかり田舎者である。

今回の上京の一番の目的は「世界一のマジシャン島田晴夫」師に面会する為である。

現在、ロサンゼルスに住んでおられる島田晴夫師邸を今年2月にNHK札幌放送局の古谷敏郎アナウンサーと2人で訪ねて3泊宿泊させていただき、マジック・キャッスルにも連れて行っていただいたのである。

その島田師が、香港で開催されるマジック・コンベンションのゲストマジシャンとして出演されることになったのだが、その前後に東京に滞在してマジックの個人レッスンをするのだという。

今回は北海道には来られないとのことなので、お世話になったお礼に東京で面会して一緒に食事でもしましょうと云うことになったのである。

香港は、ニュースで激しいデモの様子が報じられており、こんな状況でマジックコンベンションが開催出来るのだろうかと心配していたのだが・・・。

待ち合わせ場所は巣鴨駅傍の「ルノアール」と云う喫茶店を指定された。

巣鴨は「北の屋台」をやる前年の2000年に、「巣鴨地蔵通商店街」や「とげぬき地蔵」「洗い観音」などを視察に行ったことがあるだけで、土地勘がまったくない場所だ。待ち合わせ時間に遅れる様な失礼なことは出来ないから、早目に行ってルノアールを見つけておいた。あっさりと見つけることが出来たので、待ち合わせ時間にはまだ早過ぎるから、20年前に行った地蔵通商店街まで行ってみることにした。

20年前から「お年寄りの銀座」として高齢者の街として有名であったが、依然として人通りが多い。商店街としての生き残り方としてとても参考になる事例である。来て良かった。

ルノアールに戻り、しばらくして島田晴夫師が来店したが、総髪の長髪に、革の上下のスーツ姿はオーラ全開である。

香港での様子を詳しく話してくれたのだが、二人っきりで島田師と話しが出来ていることが嬉しいことである。

明日は「傘出し」の個人レッスンを板橋のケン正木さんのスタジオで行う予定だと云う。傘に始まり衣装も島田師が自分で作ったり、改造したりするのだと云う。その作業をこれから、スタジオに泊まり込んでやらなければならないと云う。板橋に近づくために夕食の場所を池袋に移すことにした。池袋東武デパートの上にある食堂街が、何でも揃っているからというので、そこに移動し「宮川」と云う鰻屋に入る。昔のテンヨー時代は良く鰻を食べに行ったとのだと云う。

そういう話を、一緒に食事をしながら一対一で聞かせてもらえるのは実に贅沢な時間である。ロサンゼルスで聞かせてもらった話を、私の地元の「十勝毎日新聞社」で「世界一のマジシャン島田晴夫物語」として14回の連載記事を書かせてもらったが、そこに書いていないエピソードを沢山、お話し頂いたのである。

その一つをここで紹介しておこう。『デビューしたての頃、四つ玉を指に挟んで撮った写真を見た映画監督かプロデューサーが、私(島田晴夫)を映画俳優としてデビューさせたいと天洋先生に言いに来た。当時の私はカワイイ顔をしていたから、石原裕次郎のイメージに重ねていたのかもしれない。でも、私にはその気はまったく無かった。私はマジシャンになりたかったから・・・、俳優と云うのは、監督やプロデューサーの言う通りに演じなければならないが、マジシャンは自分の思う通リに演じることが出来る・・・。マネージャーをしてくれたチャニング・ポロック(「ヨーロッパの夜」と云う映画の鳩出しで一世を風靡したハンサムなマジシャンで後に映画俳優にもなった)が俳優になったと云うのは、何か不思議なものを感じるが、私はマジシャンで良かったと思っている。云々』こんな素敵な話を聞けるのは光栄なことであった。