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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2021-05-31-Monday 勝毎「論壇」

20121.05.31十勝毎日新聞「論壇」掲載

『「まち」は多様なエンターテインメント』

「平原まつり」は今年も中止となったが「大道芸」関連の面白い文献を見つけた。

テキヤの啖呵売(たんかばい)「万年筆売り」の口上に「(前略)工学博士、北村義雄先生が三年八ヵ月というながい間、北海道十勝の国、石狩川の上流に研究所を・・・(後略)」。

見せ物「親の因果が子に報い」の因果物(いんがもの)「蛇娘 花ちゃんヤーイ」の客引き口上では「(前略)この子の生まれは北海道十勝の国、石狩川上流で生まれまして・・・(後略)」とある。

なぜ、研究所の所在地や蛇娘の生誕地が「十勝の国」で、十勝なのに何故に「石狩川上流」なのであろうか?

結局その謎は解明できなかったのだが「見せ物」の歴史を調べると、明治以後見せ物は都市風俗から「消され」、もっぱらドサ廻りの芸能となり、都市生活から「不思議」が追放された。新開地北海道は、芸能を主体としたテキヤ稼業の新天地となってテキヤは大いに栄えた、とある。

私は、繁華街の西2条南9丁目、いわゆる「まち」で昭和33(1958)年に生まれ育った。両親は商売で忙しく、10円玉1枚を渡されて子どもだけで遊んでいた。当時10円は使い道が豊富であった。昭和36年に向かいに「藤丸デパート」が開店、階段の踊り場にあった半球状のプラスチックにジュースが吹き上がる自動販売機が珍しかった。隣の甘栗屋では栗が2個、10丁目の「みつわや」ではお菓子が量り売りで買えたのだ。

裁判所跡地(西3条南9丁目)の原っぱにはよくサーカスや見せ物小屋が掛かった。丸太を縄で結んだ掘っ立て小屋で、お化け屋敷や蜘蛛(くも)女などのオドロオドロシイ絵看板やテンポの良い客引き口上が怖いもの見たさの好奇心をくすぐる。親に連れて行ってとせがんでもバカバカしいからダメだと言われ、それでも諦めきれずに小遣いをためて見に行った。大抵はインチキなモノであったが、今なお強烈な印象があるのは「人間ポンプ」という芸、口に油を含んで火の付いた棒に吹きかけると炎がバァ〜ッと伸びる。ゴジラみたいだとビックリした。祭りにやって来る露店では香具師(やし)によるフーテンの寅さんみたいなテンポのよいたんかが楽しみであった。

近年「街」が健全になり過ぎて全国どこも似たようなツマラナイ街になってしまった。街には妖しげで猥雑(わいざつ)なモノも必要なのだ。近代的できれいなメインストリート、少し妖しげな裏通りやチープな小路、ときには非日常のエンターテインメント、そこに「物語」があってこその「まち」なのである。