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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2021-07-30-Friday 北の屋台20周年

昨日29日が北の屋台オープン20年記念日であった。

オープンしたのは2001年7月29日(日)である。「29」と云う数字は私のラッキーナンバーであるから29日に拘ってオープンさせたかったのであった。

オープンしてからは昨日でちょうど20年であるが、この事業に着手したのは1999年2月の末からである。

当時の新聞記事を紐解いてみたら、1999(平成11)年2月24日に坂本ビルに有志を集めて「まちづくり交流会」を開催したと載っていたが、これがそもそもの始まりであった。

私にとっては、オープンしてからの20年よりも、オープン前の2年半の方が大変であったし面白かった。当初はメンバーから出されたかなり安易な発想で「屋台をやろう!」となってメンバーがおおいに盛り上がったのであった。8月には「全国中小企業団体中央会」から補助金を受けることになって屋台の本場である博多・広島・呉・大阪などを視察してきたのであるが、博多では福岡市役所の屋台担当者から「屋台は法律で禁止されているから、新たに開業することは出来ない・・・」等との説明を受けて同行したメンバーの意気込みは一気にしぼんでしまったのであった。

それでも諦め切れなかった私だけがひとり、しつこくやれる方法を得意の「マジック的思考法」を駆使し、何度も警察や保健所に通っては修正を繰り返して、1ヵ月ほどかかって日本初の完全遵法屋台の手法を考え出したのだ。

そこからは、またメンバーの機運も再度の盛り上がりをみせたのであった。

2年目は各種の実証実験やデータや文献の分析、海外の屋台の視察、屋台事業周知の宣伝、新たな補助金の獲得など等に時間とお金を費やした。

帯広商工会議所からは、事前の宣伝や準備ばかりやっていないでサッサとオープンしろとの叱咤もあったが、「まちづくり」において重要なのは、準備不足のままで開業するよりも、事前の根回しや宣伝や仲間を十分に増やしておき、市民の期待値をオープン前に上げておくことが肝要なのである。そこを理解せずに準備不足のまま開始するまちづくり事業は失敗するのがパターンになっていた。

北の屋台成功の鍵は、このオープン前の2年半にこそあったのである。

この2年半に研究した屋台の歴史やら、北の屋台の手法などを解説した拙著「北の屋台読本(メタ・ブレーン社刊)」をオープン日の2001年7月29日に出版した。初めての著作物刊行であった。オープン日に合わせて敢えて出版したのは、北の屋台の成功を確信していたからで、後に成功譚を語る時に「後付けの理論」とは言わせたくなかったからだ。それほどの自信があったのである。

因みに、「北の屋台読本」に書いた内容は、4年後の2005年7月29日に出版した2冊目の拙著「北の屋台繁盛記(メタ・ブレーン社刊)」にも収容したので廃刊することにしたが「繁盛記」の方は現在でもアマゾンで購入が可能である。

妻に言わせると、私はこの間、ほとんど家に居なかったと言う。子供たちがまだ幼かったのに子育てをまったく手伝わずに、やれ屋台だ、やれ環境問題だと、あちらこちらを飛び回っていたと言う。確かにそうであった。

2007年3月に北の屋台から離れても、マジックだ何だと、相変わらず好きなことばっかりやっている。

家族には迷惑を掛けたかもしれないが、貴重な経験をたくさんさせてもらったし、全国各地に知己も増えた。

北の屋台もコロナ禍で運営は厳しいようであるが、帯広の名物にまで育った北の屋台は今後も頑張って運営してもらいたいと願っている。