2016年春に誕生した男の子であったが・・・。
切迫早産で未熟児で生まれ、誕生からたった88日間、ついに病院の敷地からは一歩も外に出ることのなかった短い人生であった。
誕生してから亡くなるまで、妻はほとんど毎週末毎に、私は1週おきに仙台の病院に面会に通ったのであった。
2016年と云う年には実にいろいろな出来事があったことを思い出した。ざっと列挙してみると、
4月中旬に母が自宅で転倒した。最初に診てもらった整形外科病院では骨折が分からずに、数日間母の自宅で母の横に寝て看病を続けたが、あまりに痛いと言うので別の病院に連れて行ったら腰骨の骨折が判明し、即入院することになった。
5月には長女が初孫を出産した。
6月には私が人間ドックで前立腺癌の疑いがあると宣告されたが生体検査や治療は先延ばしにした。
7月にはマジック・ミュージアムを一般公開オープンし、駒大マジッククラブの同窓会をトマム、帯広で開催した。
8月には初孫が死去。この日東北地方に観測史上初めての太平洋側から台風が上陸し、続けざまに4つの台風が東北・北海道を襲い。葬式からの帰宅時にはJRが運休して新千歳空港からタクシーで帯広に戻ったのであった。
9月には弟の妻の母親が死去。
心労疲労が溜まったのか妻が肺血栓で帯広厚生病院に一か月間入院、心臓に血栓が飛んだら即死と医者から言われて真っ青になった。ちょうど同じ時期に妻の母親が腸閉塞で北斗病院に手術入院。二ヶ所の離れた病院を行ったり来たりした。同月には妹の夫の母親が死去。
10月には妻の父親の一周忌法要。
11月にはテレビ「開運!なんでも鑑定団お宝サロン」出演依頼が舞い込む。
これ以外にも、例年行っている「駒大同窓会十勝支部総会&落語会(7月)」やら「大道芸フェスティバル(8月14〜16日)」やら「マジック・ミュージアム オープンのテレビ取材」などをやったのだから、超忙しくて、超慌ただしくて、そして超ハードな1年であった。振り返ってみても何と大変な1年であったことか。人生にはこんな時もあるんだなぁ〜としみじみ感じたものである。
その後、娘のところには女の孫が二人生まれたが・・・、コロナ禍のこの2年間も大変な年ではあるのだが、コロナ禍では会いに行くことも出来ない。暇よりも忙しい方が私には適しているかも・・・。