そろそろ活動を開始しなければ・・・
1日は、早速忙しく動き回った。
東京から上智大学の石澤良昭先生の秘書的な仕事をしている職員が来帯したので、帯広空港まで出迎えて車中で打ち合わせをしながら、まずは帯広市役所に向かう。
石澤良昭先生は、帯広市のご出身で、ご両親は帯広市中心街の西2条南10丁目で履物屋さんを営んでおられたと云う。帯広三条高校を卒業して上智大学に進学し、学生時代からカンボジアのアンコールワットの研究と修復に携わり、世界が認める第一人者になられた方だ。
私は、来年1月27・28日に帯広で予定している石澤先生関連のイベントのお手伝いをすることになっている。
まずは市役所で田中敬二副市長と面会した。田中副市長と私は帯広柏葉高校の同級生である。田中副市長が帯広東京事務所所長だった時代にちょうど石澤先生が上智大学の学長を務められていた時期に重なり、何度も上智大学に訪ねて行ったとのことで話が弾んだ。イベントへの協力を依頼してから、次はメディア関係である。NHK帯広放送局と帯広ケーブルテレビ局を訪問して取材依頼や番組制作依頼などをした。
午後からは会場になる北海道ホテルの下見と打ち合わせをおこない。それが終わったら関係者宅訪問などにも同行し、帯広空港まで送って行った。
十勝環境ラボラトリー(TKL)の専務をやっていた当時(1996〜2006年)は、毎日の様にこんなことをやっていた。
TKLが解散した後は、少しはこういう活動は減ったのだが、それでもTKLで招聘した講師の方々がプライベートで十勝を訪れる際には、私が案内役をしていたのである。
また全国各地を「観光カリスマ」として講演して歩いたりもしていたので、まだまだ忙しかったのだが、このコロナ禍で、ここ2年間はほとんど帯広から出る機会も無くなっていた。だから今日は、久し振りに「動いたなぁ」という気持ちになったのだった。
やはり人間は暇でダラダラしているとダメなものだ。思考がドンドンとネガティブな方向に落ち込んでしまう。「忙中閑あり」と云うけれど、忙しい時の方が自分の時間も作れたし充実していたのであった。
コロナ禍は人間の「ヤル気」を奪ってしまう。
東京の感染者数も急激に減っているようだから、この機会に指定感染症の2類相当から5類に早く下げて普通の生活に戻してもらいたいものである。