北の屋台1期生の「こころ」の木村武博さん、「らくれっと」の宇佐美明男さんが9月、10月に続けてお亡くなりになった。
私が関わった北の屋台の1・2期生の連絡先が分かっている方々に連絡をしたところ、今度の土曜日の13日に物故者を偲んで一緒に酒でも飲もうやと言うことになった。コロナ感染者数も減ってきて、せっかく稼ぎ時になってきた土曜日に店を休ませて参加してもらうのは酷だし、貸し切りにならない店だと・・・。
北の屋台から独立して「いなり横丁」で店を構えている「オブリガータ」の村上さんの店ならば大きさ的にも最適かもね云うことになり、そこに集まろうと云うことになった。
十勝ではここ数日間はコロナ感染者が一人も出ていないのだが、まだ大勢で集まるのは、少しまずいかもねと言うので、いなり横丁には「やっさん」の安田さんも店を構えているから集まるには都合が良さそうだ。「農屋(みのりや)」の妹尾・片岡・梶山・村上の4人も全員が集合した。
オブリガータはカウンター席だけであるから横並びに座るので唾も掛からないだろうから形状としても最適であろう。
北の屋台の元関係者の貸し切りである。
久し振りに会ってお酒を飲み、1・2期生で物故者となった故人6人を偲んでいたら、20年前の北の屋台創業時の昔話に花が咲いた。
皆が自身の病気の話から始まったが、私も知らなかった当時の店主らのかなり衝撃的な裏話が次々と披露された。貸し切りだから北の屋台の元関係者以外にお客さんは居ないから、遠慮なしでかなりキワドイ裏話を聞かされたのであった。
「へぇ〜そんなことがあったんだ!なぁ〜るほどねぇ〜、今考えると話が繋がるなぁ〜、どうりで・・・」と納得することばかり。
もう過去の話ではあるが興味深くて面白い話であった。
20年前だと、当時の私は若干43歳、皆さんもまだ50歳台であった。「まだまだ若かったから屋台なんてやれたんだよね〜。大変だったけど楽しい思い出だよ」と言う。そう言ってもらえたら企画した本人としてはまことに嬉しい限りである。
ただ、最近亡くなられた2人の葬儀の日程などが、北の屋台の組合から事前に知らされなかったのが残念だったね。新聞で「葬儀終了」の広告で知って葬儀に参列出来なかったのは心残りだったねとの話になった。
北の屋台の卒業生の葬儀の案内を関係者に伝えるシステムが必要だよね。連絡をもらって出席する欠席するの判断は個人個人の判断でも一向に構わないと思うけど、その連絡だけは組合にやってもらいたいよね。との話になった。
そうだよね、北の屋台は人情を売りにしていたのだから・・・。
最後のお別れが出来なかったのはやっぱり寂しいよなぁ〜。