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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-02-17-Thursday 断捨離その一

捨てられない人!

それが私であった!だが・・・

遂に整理を始めたのである。

まずは、帯広百年記念館の学芸員に「寄贈したいものがあるから一度下見に来て欲しい」と電話をしたら、早速に今日の午前中に男女2名の学芸員が会社を訪問した。

何でも集める癖と、捨てられない癖。それ故に通称「坂本コレクション」は膨大な範疇と量に渡っている。

私の父も似た様な性格であった。

十勝の古い文献や資料が大量に書庫に仕舞ってあった。

そこに更に、私が「坂本家の歴史」やら「北の屋台」の本を書く為やらに資料として、地元の古本屋から十勝関係の資料や書籍や古地図などをたくさん購入していたのだ。

父と私との違いは、読書が大好きと云うことと、文献や資料を調べて文章を書くことが趣味と云うことである。父はただ集めるだけであった。

古地図の中には、明治時代に北海道の形をまだ「絵」で表現していた明治20年に政府の内務省地理局が初めて本格的に正確な測量をして制作した「改正北海道全図」などの貴重な地図も含まれている。

地図と云うモノは、普段は小さく折り畳まれていて、見る時には広げるから折り目や折り目の角が痛み易い。

私が入手した古地図は、保存状態がとても良かったから破れなどは全く無かったので、購入してすぐに額装を施して坂本商事の店舗内に展示しておいた。この地図は広げると縦145×横185㎝のとても大きな地図なのであるが、地元の額縁屋さんに依頼して特注で額縁を造ってもらい額装したものである。地図の購入価格もかなり高額であったが、額装の値段は更にその3倍もの費用が掛かったのであった。

その他にも、明治26年の「改正増訂北海道新図」もある。

祖父の勝が山梨からどの様にして十勝入りしたのか、またその掛かった移動費用は一体いくらだったのかを調べる為に購入した明治37年版の「北海道渡航案内図」がある。

祖父の勝が2度目に来道した年代が明治37年であったから、札幌の古書店でちょうどこの同じ年に発行された渡航案内図の地図を見つけた時には歓喜したのを憶えている。これには当時の汽車賃や船賃などの値段や移住者割引料金なども全部載っているとても貴重な資料なのである。

その外には、帯広市中心街の変遷を調べる為に購入した、店舗や住宅などの名前が載っている「帯広市街全図」が年代毎に多数ある。「昭和4年6月7日版」、「昭和6年12月18日版」、「昭和27年版」、「昭和31年版」、「昭和32年版」を購入し全てを額装してある。この「帯広市街全図」の裏面には会社の広告が載っているので、両面が見られる様に特殊な形の額装をしてもらってある。

また、昭和5年版の「帯広を中心とせる十勝景勝大観」という横長の鳥観図も両面が見られるように額装してもらってある。

今日、下見に来た帯広百年記念館の学芸員も「折り畳んだ状態の地図は多いのだが、拡げた状態でこれだけ立派な特注の額装を施した地図は少ない」と驚いていた。

全て、同じ額縁屋さんで額装したから、統一性もあるので、来年度の開拓140年展の展示をするには最高の地図であろうと思う。

果たして、百年記念館で私の寄贈を受け付けてくれるであろうか?