大学生時代に思い出が深い店である。
大学4年生のGWに、京都、奈良を訪れた。
大学1年生の夏休みに1ヶ月間、ライオンズクラブの交換留学生としてニュージーランドに行った時の同窓会が京都のホテルで開催されたのであるが、その同窓会に参加するついでに京都・奈良を見学したいと思いたったのである。
高校2年生の時の修学旅行で京都・奈良を訪れていたのではあるが、当時は旅行中はずっと紙麻雀に興じていて名所旧跡のことはほとんど記憶に残っていなかった。
歴史が大好きであるから、この機会にじっくり名所旧跡を廻ってみたいと考えたのであるが、貧乏大学生であるからホテルに泊まるような金など持っていない。そこで、高校の同級生で京都産業大学に入ったO君に連絡を入れて、彼の岩倉にあった下宿に転がり込んで世話になったのであった。
そのお返しに、今度は夏休みにO君が東京の私のアパートを根城に、関東見物に来たのである。
早稲田に入った高校同窓のK君を誘って、3人で横浜見物に出向いた。
中華街を歩いて夕食を食べる時に「せっかく横浜に来たのだから一番有名な聘珍楼で食べよう!」とK君が言い出した。そんなに所持金を持っていない我々は臆したのであったが・・・。
メニューで一番安いモノばかりを数品頼んで3人で分けて食べれば良いと云うK君の言葉に乗っかって店内に入ったのであるが・・・。
メニューを見ながら帰りの電車賃分をきっかり残して注文して食べたのであった。「やった〜!俺たちは天下の聘珍楼で食べたぞ!」と気分良く支払いをしにレジに行ったらば・・・
なんと、定価以外にサービス料というのが掛かると云うではないか!
エ〜ッ!、これまでサービス料が掛かるような店で食べたことがなかったから・・・。
まさかメニューの金額以上にお金が掛かるとは思ってもいなかったのである。
仕方なく全額を払ったのだが、帰りの電車賃が足りなくなってしまった。当時の国鉄料金では横浜ー渋谷間の運賃が足りないのだ。しかし、私鉄の東急東横線ならばギリギリ渋谷までなら帰れる乗車賃であった。
私のアパートは三軒茶屋であったから、桜木町から渋谷まで東横線で来て、渋谷から三軒茶屋までは徒歩で帰り着いたのであった。
そんな懐かしいことを思い出した聘珍楼の記事であった。