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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-07-09-Saturday 帯広商工会議所の歴史に関して

先日、創立100周年を迎えた帯広商工会議所

その歴史が新聞に掲載されていたが・・・。

その中には『帯広実業協会の創立当時の会員は 350 余人。当時の主要な業種はほぼ網羅していたものと考えられている。西2条9丁目の十勝石材株式会社の2階に事務所を置き、会長藤本長蔵氏…云々』との文章が載っていた。

私は、生前に父から「商工会議所は昔我が家に間借りしていたことがあるんだよ」と聞かされていたことを思い出した。

この文章は、先頃帯広図書館に寄贈したばかりの「商工会議所五十周年」という本に載っていたのではないかなと記憶しているが、今は図書館に寄贈してしまったので、図書館に行かないと見られなくなってしまったので未確認である。

昔、この文章を見た時には「十勝石材株式会社」というのが「坂本勝玉堂」のことであると信じて疑うことはなかったのだが、改めて目にすると違和感があったのである。

そこで、この「十勝石材」なる会社のことをいろいろと調べてみたのだが、「十勝石材」なる名称の会社の存在が確認できなかった(私が調べた範囲では「十勝石材」店という商店の存在は百年記念館でも十勝の石材店の組合でも確認することができなかった)。

私は「十勝石材(とかちせきざい)」と読むことにとても違和感を覚える。これは「とかちせきざい」ではなく「とかちいしざい」と読むのではないだろうか?と思っているのだ。

以前に十勝毎日新聞の「論壇」に古い絵葉書発見のことを書いたが、その絵葉書には、祖父の坂本勝が1905(明治38)年に凋寒(池田利別)から帯広に移転した「西2条南4丁目」時代の「坂本勝玉堂」が大きく写っている。店の屋根には単独で「十勝石細工」だけの大きな文字の看板も掲げられていた。

坂本勝玉堂が西2条南4丁目から西2条南9丁目に移転した年代は、1921(大正10)~1923(大正12)年頃といまだにハッキリとは確定していないのだが、西2条南9丁目は坂本勝玉堂が進出するまでは、前河西支庁長の諏訪鹿三氏の牧場であったとの帯広市史の記述もあり、「十勝石材」という会社が「坂本勝玉堂」以前に存在していたというのは考えにくいのではないかと思うのである。

当時の「商工会議所の歴史文」を誰が書いたのかは分からないが、誰か実業協会の設立に関わった人にインタビューした際に「十勝石細工(とかちいしざいく)」の看板のある「坂本勝玉堂」の店名のことを「十勝石細工」という店名の店と思い込んでいたのではないだろうか?

そしてインタビューワーが「とかちいしざい・く」の「く」の音が上手く聞き取れなくて「とかちいしざい」と誤って聞き取り、その音に「十勝石材(とかちいしざい)」の漢字を当ててしまった可能性が高いのではないかと考えているのだ。そして、それが字面から「とかちせきざい」と読まれたのではないかと推測している。

日本の歴史上では、日本語には同音異義語が多々あるので、同じ音ではあるが異なる文字を当てるこの様な事態は数多くあることが知られている。

会議所の100周年を期に正しい歴史を残すべきではないかと考えている。