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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-07-19-Tuesday 親は選べない

安倍元首相を銃撃して殺害した犯人は、

母親が新興宗教に多額の献金をして家庭が崩壊したと云う。

この新興宗教と安倍元首相との繋がりも、ニュースで見る限りでは、そう大して深い関係性があるわけではなさそうだ。

おそらく犯人は、この新興宗教に対して最も深いダメージを与える方法をあれこれと模索した結果、安倍元首相の暗殺を思い付いたのであろうと推察する。もし、本当にそうであるならば、こんなことで殺されてしまった安倍氏はまことに不幸極まりないとしか言いようがない。

「子は親を選べない」と云うが、この犯人も、こういう母親から生まれたことが不幸の元であったのだろうし、殺された方の安倍晋三氏も政治家の家に生まれたことが不幸の元であったということなのかもしれない。

昔の見世物小屋での呼び込みが言うセリフには「親の因果が子に報い・・・」というのが定番であったが・・・。

一方で「親は無くても子は育つ」とも言うが、それは身体的なことであって、食事をしてさえいれば身体は一応成長はするであろうが、精神面においては親の存在と云うのは大きなウェートを占めると思うのである。

心理学では、エディプスコンプレックスとマザーコンプレックスと云う言葉がある。少なからず父親や母親の存在や生き様が子に大きな影響を与えているのである。それは表面に現れたり、内面的、潜在的であったりと様々なのであろうが・・・。

また生れた年代と云うのも大きな影響を与えると思うのである。

自分自身を振り返ってみたら、果たしてどうであったのだろうか?

私が生れたのは1958(昭和33)年である。

時代的には、とても恵まれていた時代だったのではなかったかと思う。

私達の親の世代には第二次世界大戦があった。青春時代を戦争で奪われた世代である。

我々の少し前の世代の人達は「学生運動」という熱病の様なうねりがあった。

私等は、高度経済成長の真っただ中に生まれたから「今日よりも明日は必ず良くなるんだ」と云う様な漠然とではあったが明るい希望があったし、学生運動なんてモノにも巻き込まれることはなかった。

それが、1992(平成4)年頃にバブル経済が崩壊してからは、現在まで続く「失われた30年」の時代である。

平成生まれ以降の世代は、生まれた時から現在までず~っとデフレが続いていて給料も上がらない時代なのである。

生れてこのかた好景気というモノを経験していないのだから可哀想な世代である。

「今日よりも明日は悪くなるかもしれない」という希望の無い時代なのだ。いやむしろ絶望の時代と言えるかもしれない。少子高齢化、地球温暖化、不景気e.t.c. ほんとに可哀想である。

そこに、このコロナ禍が3年も続いている。専門家は「命の危険があるから自粛せよ」としか言わない。政治家はそいつらの言いなりで、いつまで経ってもインフル並の5類にすら下げようともしない無能(脳)な連中ばかりで、ただただ税金を無駄遣いしてバラまき、感染者数が増えたと言っては何度も同じことを繰り返すばかり。こんなにバラまいたら後から税金で徴収するしかないであろう。結局、最後にこのツケを支払わされるのは若者達であろう。

こんな状況で若者らに希望を持て!と言えるわけがないではないか。

もはや、彼らは我慢の限界に達しているのかもしれない。

社会に対する絶望は、人を自暴自棄にし、犯罪へと走らせるであろう。

手間暇掛かってわずらわしい生活保護などの社会保障を受けるよりも、手っ取り早く犯罪を犯して刑務所に入った方がよっぽど快適な生活が出来ると思う単純な人間が増えるのは必然である。しかも、軽犯罪ならすぐに釈放されてしまうから、長く刑務所に入っているためには、人を殺そうと考える奴が増えであろう。

殺すのは誰でも構わないのだから、弱そうな子供や老人が犠牲になり易くなるだえろう。

実際にそんな殺人事件や障害事件が増えている。

人間、貧すれば鈍す。金に困っての窃盗事件も増えるであろう。

あ~嫌だ、嫌だ。

ほんとに嫌~な時代になってきたものである。もう辺り一面、絶望しか見当たらない世の中である。