«前の日記(■2022-09-16-Friday) 最新 次の日記(■2022-09-20-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-09-19-Monday かちまい論壇

2022.09.19十勝毎日新聞「論壇」掲載記事

「謎解き第二弾!帯広商工会議所の歴史」

2月に帯広商工会議所の100周年を記念して「帶廣商工會議所百年史 帶廣」が発刊された。その歴史には『「帯広実業協会の活動」帯広実業協会の創立当時の会員は350余人。当時の主要な業種はほぼ網羅していたものと考えられている。西2条9丁目の十勝石材株式会社の2階に事務所を置き・・・云々』、会議所の前身である実業協会が設立されたのは1921(大正10)年とある。

私は、父から「商工会議所は昔わが家に間借りしていたことがある」と聞かされていた。

孫引きである「帯広商工会議所五十年史(1971年発刊)」を読んだ時には「十勝石材株式会社」が我が社の前身「坂本勝玉堂」であると信じて疑うことはなかったのだが、改めて目にすると違和感がある。

「十勝石材」のことを私なりに調べてみたが、「十勝石材」なる名称の会社の存在が確認できなかった。違和感の正体は「とかちせきざい」と読むことにあった。「とかちせきざい」ではなく「とかちいしざい」と読むのではないのかと閃(ひらめ)いたのだ。

3月14日の「かちまい論壇」に古い絵はがき発見のことを書いたが、その絵はがきには、祖父の坂本勝が1905(明治38)年に凋寒(池田町利別)から帯広町西2条南4丁目に移転した時代の「坂本勝玉堂」が大きく写っていて、屋根には「十勝石細工」という大きな看板が掲げられていた。

勝玉堂が西2条南4丁目から西2条南9丁目に移転した年代は、1921(大正10)~23(大正12)年頃といまだにハッキリとは確定できていないのだが、西2条南9丁目は坂本勝玉堂が移転する頃まで、前河西支庁長の諏訪鹿三氏の牧場であったとの帯広市史の記述がある。「十勝石材株式会社」の所在番地が載っていないから不確実だが、「坂本勝玉堂」の移転以前に存在していたというのは考えにくい。

五十年史の「歴史」を書いた人物は不明だが、当時、実業協会の設立に関わった人にインタビューした際に、その人が「十勝石細工(とかちいしざいく)」の看板を掲げた「坂本勝玉堂」のことを「十勝石細工」という名前の店だと勘違いしていた可能性がありはしないだろうか?

「とかちいしざいく」の「く」の音が聞き取れなくて「とかちいしざい」と聞き取り、その音に「十勝石材」の漢字を当てたのではないだろうか?そして、それが「とかちせきざい」と読まれてしまったのではないかと推理した。

日本語には同音異義語が多々あるので、同じ音に異なる漢字を当て、後に読み方が変わることは歴史上数多く存在している。この推理の真偽を知りたい。