半数以上の国民の反対を押し切って挙行された。
死者を悼むことに反対する人というのは、日本人の心情としては極少数なのであろうと思うのだが、まだ評価の定まっていない政治家を国葬という形で悼むことには反対している国民が多いということなのであろう。
政府が国葬という形に拘ったことによって、逆に安倍晋三元首相を悼む人々の気持ちをバラバラにしてしまったのではないだろうかと残念な気持ちである。
一般の方々の弔問に並ぶ列が長かったことからも、死者を悼む気持ちを持つ国民は多いのだなということが窺い知れる。
何事も決断出来ない岸田首相が、なぜに国葬にすることを早々に発表したのであろうか?
今日の葬儀の模様をテレビで見ていて。岸田首相の追悼の辞と、菅前首相の追悼の辞とを聞き比べると、岸田首相の言葉にはまるで気持ちの入っていない軽薄な言葉の羅列が感じられた。
国民の反対を押し切ってまで国葬を強行した責任者であるはずの岸田首相の追悼の言葉があんな程度のモノでは、賛成した人々も聞いていて厭きれてしまったのではないだろうか?
それにしても葬儀のなんと長いことか!
ゆっくりと行うことで厳かさを演出したつもりなのであろうが、長過ぎるにも程があろうに。
先に行われたイギリスのエリザベス女王の国葬と比較されることは重々承知の上でのことであろうに、ただただ時間だけを掛け過ぎてダラダラ感がぬぐえない、参列者も逆にイライラを募らせたのではないだろうか?
どうせ強行するなら、これぞ日本の国葬と言われるような葬儀にしなければ益々批判が強まるばかりであろう。
その意味でも残念な葬儀であったと感じる。