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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-03-14-Tuesday 検診

半年毎の検診を受けに

札幌の北大病院に日帰りで行って来た。

2017年9~10月の2ヵ月間北大病院に入院して、前立腺癌の内分泌療法(泌尿器科)と陽子線治療(放射線科)の二種類の治療を受けた。

その経過を観察するために最初は3ヵ月毎、しばらくして半年毎の検診を受けている。

今回は前回9月に受けた検診の半年後の検診である。

昨日13日から、コロナ禍のマスク着用が緩和された。

私は、マスクは大嫌いである。すぐに耳の後ろ側がゴムで痛くなるし、息苦しいからだ。しかし、元々感染症には注意をしていて、インフルエンザが流行っている頃に混み合う公共交通機関や飛行機に乗る際には、独自の判断でマスクをして乗っていた。昔から自分の身は自分で守らなければならないと考えているのだ。

マスクにどれだけの防御効果があるのかは分からないが、インフルエンザが流行っている時に、自分の近くの席の人が咳やくしゃみなどをしたら、あんまり気分の良いものではない。そんな時に嫌な顔をするくらいなら、最初からマスクを着用していれば良いと考えての行動である。

だから、今回もマスクを着けて列車に乗ろうかと思ったのであるが・・・

列車が空いていたから、前後左右に乗客が居なかったので、マスクをしないで乗っていたのであった。

同じ車両内の乗客もマスク着用は半々といったところであった。

札幌駅に到着したら街歩く人の9割ほどの人がマスクを着けている。

札幌の人達は、よっぽどコロナを恐れているのであろうか?

さすがに私も病院内ではマスクを着用していたが、検診が終わって外に出た途端にマスクを外して歩いた。せっかくの春の空気を吸いながら北大前の通りを歩きたかったからである。

検診の結果は良好であった。背中の痛みは前立腺癌とは無関係らしいし、前立腺の異常を知るPSA値は治療後のず~っと低い数値のままである。医者が「半年に一度の検診を1年に一度に変えましょうか?」と言う。

他に用事が無いのに、検診だけのために一日掛けて日帰りで帯広ー札幌を往復するのは面倒臭いし、けっこう疲れるからありがたい。

私が「いっそ、検診を止めても良いですか?」と言ったら「それは・・・」とお茶を濁すような返事が返ってきたので、しかたなく来年3月の検診予約を入れて病院を後にした。

まぁ、1年に一度くらいは仕方がないか。

札幌の中心街で歯医者をやってる従兄弟に電話して、検診が早めに終わったから寄っても良いかと尋ねたら「近況を聞きたいから一緒に蕎麦でも喰おうや」と言うので街中に向かった。

私は小学1年生の時に姉と二人きりで列車に乗って札幌の伯父の家に遊びに行ったのを皮切りに、その後は一人で毎休み(春・夏・冬休み)に札幌に親戚の家を泊まり歩いては小遣いを集金していたのである。

今考えるとかなり図々しい子どもであったが、親もよく小学校の低学年の子どもだけをたった一人で行かせたものである。

一番最初こそ8歳上の従兄弟が札幌駅まで出迎えてくれたのだが、それ以後は自分一人で札幌駅から伯父の家まで歩いて行ったのである。もっとも、伯父の店舗兼住宅は南2条西3丁目の札幌市のど真ん中にあったから、札幌駅からまっすぐの駅前通の1本道を三越デパートを目標に南に向かって歩けば良いのであるから間違えようがなかったのであるが・・・

札幌の街中も札幌オリンピックの数年前頃から大きく変化し出した。

伯父の店の道路を挟んだ斜め前に四丁目プラザが建った前後のことは憶えている。当時から古本屋が大好きであったが、四丁目プラザが出来る前の古本屋に行った記憶がある。

今回、その四丁目プラザビルが解体されてビルが無くなっていた。

札幌の街中も新しいビルが次々に建っている。伯父の店舗があったビルもすでに無い。街の景色がどんどんと変わっていく。

しかしなぁ~・・・

北海道の中心都市札幌と云えども、数年後からは人口が減っていくと予想されているのに、こんなに高層のマンションやらオフィスビルやらが新たに建っても、はたして需要がすべて満たされるのであろうか?他人事ながら心配になるなぁ~。

18歳年上の歯医者の従兄弟と蕎麦を一緒に食べて近況報告をしてから、札幌駅に戻った。

数年前だったら帰りの列車に乗車するまでの時間が3時間もあったら、街を散策したり、デパートの中を見て歩いたり、なじみのマジックショップに寄ったり、映画を観たりなんてしたものだったのだが、なんだかそんな気力も湧いてこない。

時間潰しをするのも面倒臭くなって、みどりの窓口で2本早めの列車に変更して帰宅したのであった。