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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-06-02-Friday 藤丸再生

昨日の新聞に新藤丸再生プランが載っていた。

その記事では、新藤丸の村松社長と米田CSO(最高戦略責任者)によると、藤丸デパートが1月末に閉店した後、近隣の商店街は人通りが減って淋しくなった。再生プランの検討をしていたが、マンションなどを建てると、それだけ再生時期が遅くなってしまうので、4階建てくらいの商業中心のビルを建てることで2026年くらいに再建するプランを採用したいと考えている。と言う。

それでも30~40億円の費用が必要で、行政などの協力を仰いで実現する意向らしい。

新藤丸の村松氏も米田氏も二人とも帯広・十勝の出身者ではない。彼らを藤丸再建に突き動かすエネルギーは、いったいどこから湧いてくるものなのだろうか?

私ら若者グループが、中心市街地の再生などを目的として「北の屋台」を創ることをやり始めたのは1999年(十勝環境ラボラトリーの設立は1996年)のことであった。今から四半世紀前のことである。私はまだ40歳前の青年であったし、メンバーは皆、帯広で生まれ育って郷土に愛着があった連中の集まりでもあった。

費用も、数千万円程度で、何十億円なんて云う金額ではなかったのに、資金集めにはとても苦労した。結局、私が資金を調達して北の屋台事業は成功を収めたのだが、当初は誰もが我々の北の屋台は失敗すると思っていたのである。

家庭も顧みずに心血を注いで、北の屋台事業はやっと軌道に乗ったが、それまでは周りの人たちからはず~っと冷たい眼で見られていたのである。

それでも「郷土愛」というものがあったし、中心街は自分の生活の場でもあったから、完遂することが出来たのであった。

そのエネルギー量たるや、自分で今考えても大変なものであった。

村松氏と米田氏の新藤丸再建に掛ける意欲や金額は、北の屋台事業の規模に比べたら雲泥の差である。桁がまるで違う。

とかく世間は、自分に直接関係の無いことには冷たいものである。

彼らには、それら数々の壁を突き破って是非とも成功させてもらいたいと願っている。