科学者で文章家の寺田寅彦は「災害は忘れた頃にやって来る」と喝破していたが・・・。
何年前であったか忘れたのだが、「北の屋台」や「十勝環境ラボラトリー」の講演で新宿の工学院大学の最上階28階(高さ133m以上)で講演を行っていた時のことである。ちょうどその最中に震度4クラスの地震が東京で発生した。
工学院大学は新宿の超高層ビル群の中に建っていた。
激しく揺れているから講演は休止、窓の外を見たら、新宿の超高層ビルがユッタリと揺れている。その揺れの方向が同調していないから、超高層ビルの最上階と最上階が衝突しそうに揺れている様に見える。
窓の外のその風景を見ていた女子学生が「アッ、ビルとビルがぶつかる」と叫んだので皆が一斉に外を見た。
工学院大学は高層ビルではあるが、その揺れていたビルよりはまだかなり低い。
すぐ隣のビルが地震で揺れて衝突しそうに見えるのはパニックに陥る。
工学院大学のエレベータも停止してしまった。
数分後に、地震の揺れはすでに収まったているはずなのに、28階の会場はまだユッタリと揺れている。まるで船に乗っているような感覚である。
このユッタリとした揺れによって私も船酔いした様な感覚に陥った。
聴講していた学生の多くが気持ちが悪いと言い出した。
講師であった私は、とても続ける状態ではないと思い講演の中止を宣言した。
完全に揺れが収まるまでは十数分は掛かった様な感覚がした。
エレベータはいつまで経っても復旧しない。
何人かが待ちきれずに階段で下に降りると言う。
地震の建物の物的被害自体は無さそうであったが、精神的なダメージはかなり大きかった。
私も、ビルとビルが揺れて衝突しそうになるのを目の前で見てショックを受けた。
やたらと喉が渇いて、私も階段で地上階まで降りたが、28階を降りるのはまだ若かったのに、かなり疲れたという記憶がある。恐らく実際の身体の疲労感よりも精神的な疲労感の方が大きかったのだと思う。
貴重な経験であった。
日本では超高層ビルの敷地と敷地の間隔が狭すぎるのではないだろうか?と一瞬思ったのであるが、でも、ぶつかりそうに見えたのは窓から見えた角度による錯覚であったのだろうと思う。後から考えてみたら、いくら超高層ビルでも数メートル揺れたぐらいでぶつかる様な場所に建てたりはしないであろうから・・・。
それでも、ショックだったのは、超高層ビルが震度4クラスでもあんなに大きく揺れるのだという事実である。
高層階の固定されていない家具などは、かなり左右に動くであろうから、建物自体は壊れなくても家具が動いてその家具に挟まれて亡くなる人もいるかもしれない。
なにより大変なのは、地震の揺れで自動的にストップしてしまうエレベータである。
工学院大学の最上階の28階から降りるのにヒーヒー言っていた私は、当時はまだ40歳代であったはずである。その私が今のこの足腰の状態で降りられるであろうか?
ましてや、その超高層ビルに住んでいたとするならば・・・
エレベータが停止して、水道も止まって・・・
生活用水を貰いに一階まで降りて、水を入れたポリタンクを持って、また上層階まで階段を上がる?
絶対に無理だ!
やっぱり、洪水の起きない、地滑りの起きない地盤のしっかりした場所の一軒家に住みたい。
そう思った防災の日の感想である。