«前の日記(■2023-10-17-Tuesday) 最新 次の日記(■2023-10-19-Thursday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-10-18-Wednesday 十勝石

17日の十勝毎日新聞13面の

「こどもしんぶん」に「十勝石」の特集記事が載っていたが、その中に我が社「坂本勝玉堂」のことが詳しく載っていたので抜粋掲載する。

地球の地下にあるマグマから生まれる黒曜石。それが「十勝石」と呼ばれるようになったのはなぜでしょうか。今回はその歴史と種類について深く掘り下げます。(記事寄稿:ひがし大雪自然博物館学芸員 乙幡康之)

『できた場所で三つの違い』

【江戸時代に記録】「十勝」と名がついた特産品の中で、十勝石は最も古いといわれます。いったい、いつごろから十勝石と呼ばれるようになったのでしょうか。記録では、江戸時代中期から後期までの間には、十勝石の名が使われていたようです。1846年、蝦夷地(当時の北海道)を探検した松浦武四郎が記録した『校訂蝦夷日誌』には「黒い水晶のようで、『トカチ石』と『モンベツ石』という地名から名付けた石がある」という文章が残っています。「モンベツ石」はオホーツク地方の湧別川周辺のもの、「トカチ石」は十勝川周辺のものとみられています。

【産地に関係なく】明治時代になり1904年、池田町利別で坂本勝玉堂が開業しました。翌年、鉄道の開通によって帯広に移転します。坂本勝玉堂は十勝石を工芸品として販売し、十勝石のだるま、すずりなどが有名になり、十勝石という名前は全国で広まりました。こうして北海道の黒曜石は産地に関係なく「十勝石」と呼ばれるようになったようです。十勝石の工芸品は、帯広市の緑ヶ丘公園にあった十勝監獄では、収容された受刑者が製作していたこともあり、初期の坂本勝玉堂では、そうした刑務作業でつくられた十勝石の工芸品を販売していました。

【白い結晶混じる石も】黒曜石と一口にいっても、できた年代や見た目などによって違いがあります。これまでの研究で、十勝には少なくてとも3種類あることがわかってきました。ここでは「十勝Ⅰ」「十勝Ⅱ」「十勝Ⅲ」と呼んで紹介していきます。十勝Ⅰは、私たちが十勝石と呼んでいる黒曜石です。ガラスのような光沢(つや)が強く、質の良い黒曜石で、石器の材料としてよく使われました。十勝Ⅱは光沢がⅠより弱く、白い小さな結晶を含んでいます。十勝ⅢはⅡよりも光沢が弱く、やや灰色です。こちらも白い結晶を含みます。十勝ⅡとⅢも石器の材料として使われますが、十勝Ⅰを好んで使っていたようです。マグマが冷え固まって十勝Ⅰの黒曜石ができた場所は、上士幌町の十勝三股やタウシュベツ川です。ⅡとⅢについては、できた場所がわかっていません。いずれの石も川に削られ、下流の平野に広くちらばっていきました(地図)。その分布から十勝Ⅱができた場所は十勝川の上流、十勝Ⅲは音更川の上流ではないかとみられています。

【黒曜石の石器 国宝に】オホーツク海に近い遠軽町の白滝遺跡で見つかった黒曜石の石器など1965点が今年6月、新たに国宝となりました。北海道では函館市南茅部で見つかった縄文時代の中空土偶に続き、二つ目の国宝ですが、古いものは約3万年前のものとみられており、国内最古の国宝です。白滝遺跡の近くには、国内最大級の黒曜石の産地があります。また、長さ30㌢以上の巨大な石器が見つかっており、石器の作り方やその歴史について研究するための貴重な資料とされています。

【ひがし大雪自然館 乙幡康之学芸員】十勝石は、黒光りしたガラス光沢の中に、赤色が混じったもの、しま模様が見られるもの、時には虹色に輝くものもあり、その多様性が魅力といえます。しかし、色のメカニズムについてはまだよく分かっていませんし、原産地のわからない黒曜石も多く存在します。知っているようで知らない石、それが十勝石なのです。

(地図や表、写真は転載していません)