「簡易検査をしてコロナもインフルエンザも陰性であったが、発熱があるから音更の徳洲会病院に連れて行く」と言う。
昼頃に母を連れて行った看護師から、徳洲会病院の発熱外来に来て欲しいとの電話があり病院に向かった。
医師からの説明では、検査の結果インフルエンザA型の陽性であり、肺炎の疑いがあるから、このまま入院させるとのこと。
インフルエンザであるから面会は禁止とのことで、病室に入るまでの廊下でしか母の姿を見られなかった。
すぐに兄弟姉妹に連絡を入れて病院に集合し、医者からの説明を受けた。検査の結果、肺炎を発症していて高熱があり、高齢でもあるし体力的には母の命はもって年内との宣告を受けた。
母は満92歳と高齢でもあるし、元々痩せているから体力がないと思われたのであろう。
ところが、医者もビックリの驚異の心臓の持ち主であったのだ。
入院時に撮ったMRIの画像では、肺は真白で肺炎はかなり進行していて高熱が続いていた。
「病院からの呼び出し電話があった時には直ぐに他の家族に連絡して駆け付けてください」と言われたのである。
一進一退、一歩進んで二歩下がるような状態が続いた。
年の瀬が迫ってきて、年内かぁ~、思わず祖母が大晦日に亡くなった時のことを思い出してしまった。
私の父方の祖母は昭和59年の大晦日に満89歳で亡くなった。
大晦日の死去というのは大変であった。
当時は、正月三カ日は火葬場が休みであったから、遺体を自宅に安置するのに大変な思いをしたことを思い出したのだ。
4人の兄弟姉妹は毎日、病院に行って母に面会をし続けた。
病院の面会は12月29日までで、30、大晦日、元旦、2、3日までは面会は出来ないとのこと。
面会は出来ないが、容態が急変したら電話するからすぐに病院に駆け付けてほしいとのことであった。
30日、大晦日には病院からの連絡は来なかったが、連絡が何時入るかもしれないのでユックリと過ごすことは出来なかった。大晦日の紅白歌合戦もまともに見る気にもならないし、お酒を飲む気分でもなかった。
元旦の早朝に病院から電話が入った!
アッチャ~元旦かぁ~。と思って病院に四家族が駆け付けたが持ち直した。一旦帰宅した数時間後に再度の呼び出しの電話。いよいよかと病院に行ったがまた持ち直したのである。
驚異の心臓である。その後も2,3,4日と毎日見舞ったがどうやら持ち直した様にみえた。
5日の早朝にまた呼び出しの電話が入った。駆け付けたがまた持ち直した。
5日は仕事始めの日である。会社に戻り仕事をしていたら、昼過ぎに再度の呼び出しの電話。
そして、遂に5日の15:15分に心電図が0になりアラームが鳴った。看護師が医師に連絡を入れる。
私も死亡報告のメールを打っていたら・・・、再度の復活!
と思ったら、数分後に完全に0となってしまった。
医師が駆け付け臨終を確認したのが15:29であった。