«前の日記(■2024-01-13-Saturday) 最新 次の日記(■2024-01-15-Monday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2024-01-14-Sunday 母逝去の顛末2

1月5日15:29に母の隆子が亡くなった。

すぐに葬儀会社に連絡を入れた。葬儀日程などを決めるためである。

ところが・・・

年末、年始に帯広では大勢の方が亡くなっていて、葬儀会場が満杯なのである。

9日(火)は「友引」なので告別式は出来ないから、したがって8日の通夜も出来ないことになる。最短で9日通夜、10日の告別式という日程しか空いていなかったのだ。

すぐにその日程で会場を抑えてもらった。

葬儀会社は17:30頃に病院に遺体を引き取りに来る。

母も自宅に戻りたかったであろうから、5~9日の通夜までは母の自宅に遺体を安置することにした。

母の戒名を祖父、祖母、父と同列の立派なものにしてあげたいと思い。菩提寺の曹洞宗永祥寺のご住職にお願いして母にピッタリな「隆徳院彩照清婉大師」という立派な戒名を授けていただいた。

いまの季節は真冬である。最近の北海道の家というのは家中が暖かいセントラルヒーティングシステムになっている。母の家も同様だ。

和室に4日間以上も遺体を安置することにしたのだが、ドライアイスで冷やすものの、部屋を暖かくする訳にはいかない。

我が家の宗派の曹洞宗では葬儀まではロウソクと線香の火を絶やすことは出来ない。

線香は、蚊取り線香を細く長くしたような円形のモノがあって、その丸い線香だと8時間位は火が保たれる。これは随分楽になったものである。

ロウソクは太いものを使っても5~6時間程度しか持たないから夜間に一度はロウソクを交換しなければならない。

母の遺体の傍に居てロウソクの火を絶やさないようにしなければならないのだ。部屋の温度は低めにしてあるし、線香の煙で喉や眼が痛いし・・・。

そんな中で8日のニュースで田中角栄の目白御殿が線香の火が原因で全焼したという報道があった。やっぱりろうそくや線香に火を着けたら誰かがずっと見ていなければならないのである。4人の兄弟姉妹が交代で番をして最後のお別れをしたのであるが、グッスリとは眠れないし葬儀が終わるまでは落ち着かない。

葬儀社は帯広の公益社さんに依頼した。

実に細やかに、親切に対応してくれる会社である。

他所の地域の葬式にはあまり参列したことがないから、他所の地域の葬儀事情は詳しく分からないが、帯広では葬儀の際に「メモリアルメッセージ」という故人の生前の写真をDVDにして流すことが多いし、「会葬御礼のはがき」にも家族の言葉で独自の文章を作成することが多いようだ。

両方とも、母に相応しいものにしてあげたいと考えた。

DVDの写真の枚数は25枚までと言われたのであるが、兄弟姉妹4人で選んでいる内にドンドンと増えてしまい、そこから省いても省いても結局31枚にもなってしまった。DVDのBGMには小椋佳の「愛燦燦」の弦楽四重奏版を選んだ。出来栄えがとても素晴らしくて観ていて思わず涙が出て来てしまったほどである。他の家族からもぜひとも欲しいとの依頼があって結局11枚もの焼き増しをすることになったのであった。

会葬御礼のはがきも何度も推敲をして決めた。

9日の通夜の前に「湯灌」をするのだが、自宅の玄関には棺桶が入らないから、会場のメモリアルホールに遺体を運んで、そこで湯灌をしてもらうことにした。

棺桶に遺体を収めた途端に涙が出てきた。

会場のメモリアルホールには、母の書道の作品や家族写真など多数を公益社さんが綺麗に飾ってくれたので、きっと母も満足してくれたであろうと思う。

2019年3月に妻の母を亡くしているが、コロナ禍以来、帯広でも葬儀は様変わりして縮小傾向にあるようだ。

家族葬も増えている様だが、後日に「お参りしたかった」と言われることもあると云うから家族葬というのも善し悪しがあるのだと思う。

メモリアルホールは、比較的こじんまりとした会場であるし、まだ新しい葬儀場で綺麗であるので、雰囲気も良かったから、ちょうど母の葬儀には相応しかったと思う。