9日の通夜、10日の告別式と行った。
10日の告別式では参列者の人数が通夜よりも格段に減る傾向にあるようだ。
これは北海道独特の特色なのではなかろうか?
北海道以外の地域の葬儀には、これまであまり参列したことがないからよくは知らないのだが、テレビや映画などでの葬儀の模様を見る限りでは、告別式がお別れの儀式なのであるから、通夜よりも告別式の方に参列するのが本来なのではないかと思うのである。
平日の午前中の告別式では仕事のある人は、仕事を休まなければならなくなるから、それならば仕事が終わった後で参列出来る通夜に出た方が合理的と云えば、合理的である。
北海道の葬儀には、本州方面とは異なる慣例も多々あるようで、お香典に対して領収証を発行するという習慣も本州方面の方々には驚かれる。
古い風習の無い北海道ならではの合理的な葬儀の形態なのであろう。
火葬場に遺体を乗せて運ぶ車も、そういえば最近は霊柩車というのを見かけなくなったなぁ。昔は街中で霊柩車を見かけたら親指を隠せなんて言われていたことを思い出してしまった。
遺族ら数人と小型のバスに乗せて一緒に火葬場まで運んでくれるというのも合理的な方法ではある。
10日の火葬場も満杯であった。
遺体を焼いている間の待合室は全室が埋まっていた。
この待合室もほんの2~3年前までは、靴を脱いで座る畳敷きの部屋であったのだが、今回は椅子席に変わっていた。
年を取ると座布団に座るのが辛くなるから、要望に合わせて変更されたのであろうなぁ。
以前の帯広の火葬場では、軽食を取れるような売店があった。急な変更で用意した弁当の数が足りなくなった時などには都合が良かったのであるが・・・、よくは見なかったのだが、自動販売機とスナック菓子が販売されている程度ではなかっただろうか。
遺体が骨と灰になってしまうのを見るのはとても寂しい光景である。まだ熱い骨を拾って骨箱に入れていく。係の人が棒で骨を崩す光景は遺族としては何とも複雑な心境である。
喪主としてその骨箱を膝の上に抱いて式場まで戻る時間もまたとても複雑な心境であった。
ついさっきまで冷たかった遺体が、焼かれて骨と灰になり、まだ温かいその骨のぬくもりを膝に感じながら乗せていると何とも言えない感情が湧いてくる。
葬儀の最後のセレモニーである忌中引きであるが、告別式よりも更に参列者数が減るのは当たり前で、告別式の後、一旦会社や自宅に戻って、その数時間後に再度式場まで顔を出すというのはよっぽどのことがないと参列はしないであろうなぁ。
この風習も、コロナ禍によっておおきく様変わりしたのではなかろうか?
合理的と云われる北海道の葬儀であるから、今後きっと簡素化されるのではなかろうかなぁ?
母が逝去したのが5日であるから、告別式の翌日の11日が初七日になる。
これから四十九日の法要まで七日毎にお坊さんにお参りしてもらうことになる。
今回の母の葬儀日程はやたらと混んでいて、告別式の翌日が初七日であったが、もしももっと待たされた場合は、初七日が告別式の前なんて事態も生じるのであろうなぁ。やがて団塊の世代の大量死の時期が到来するが、人手も足りない中で、物理的にも葬儀を簡素化しなければやれない時期が近いのであろうなぁ。
身内が死亡すると各種の手続きなどやらねばならないことがたくさんある。
父の葬儀が32年前であるから、もうすっかり忘れてしまったし、そのころとはやり方もかなり変わっているであろう。
ゆっくりできるのはまだまだ先のことにようだ。