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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2024-01-29-Monday 誕生日

今日は私の66歳の誕生日。

去年の誕生日には、父が逝去した年齢の64歳を超えたんだという感慨があったのだが、今年は1月5日に母を亡くして、両親ともに死んじゃったという喪失感の方が大きかった。

一方で嬉しかったのは、孫からのビデオ電話である。

親を亡くして悲しみ、孫からの誕生祝いの「じいじ、おたんじょうび おめでとう」の言葉に喜ぶ。

この時の過ぎ様に、こうして時代が進んでいくのだなぁとの何とも言えない感慨を抱いたのであった。

嬉しい知らせも今日届いた。ロサンゼルスの島田晴夫(世界的なマジシャンで2022年4月30日に亡くなった)師宅に赴いているルスツリゾートの社員から、島田師の遺品の衣装や道具類などを今春ルスツリゾートに造る予定であるマジック・ミュージアムに収蔵する契約を、キーリー夫人と締結した旨の報告が入ったのだ。

島田晴夫師が2018年10月29日に、帯広の私が設立したマジック・ミュージアムを訪問してくれた。そして取材に来た2社の新聞記者の前で「坂本さんとの縁を感じた。私が引退したら私の道具類全てをこのマジック・ミュージアムに寄贈する」と宣言されたのである。

驚いたのなんのって・・・。島田師が使用した「四つ玉(指の間で増えたり減ったり色が変わったりする古典的なマジック道具)」のひとつでも寄贈していただけたら嬉しいなぁくらいにしか考えていなかったのに・・・

衣装からドラゴンイリュージョンという大がかりな道具まで、その全てを寄贈するなんてまさに青天の霹靂であった。

これは大変なことになったぞ!!!!!

マジック界の大ニュースとなったのである。

日本のプロマジシャンの協会である「日本奇術協会」から、ことの経緯を説明して欲しいとの依頼があり、2019年2月4日に東京会館で開催された協会の親睦新年会の席上で名だたるプロマジシャンたちを前に私が講演することになったのであった。

その後2019年2月17~20日にはロサンゼルスに渡米して、島田晴夫師邸に宿泊しながらインタビューと下見に行き、構想を練ったのであった。

そうしたら・・・・・・・・

2020年の2月から長~いコロナ禍が始まったのである。

マジック・ミュージアムの運営もままならなくなってしまい。島田師との約束も果たせない状況に陥ってしまったのだった。

2022年4月下旬に入院中の島田師から電話が入った。「自分は海外で名を成したマジシャンであるが、最後は日本に自分のミュージアムを造りたいと思っていた。坂本さんとの縁によってその夢が実現できると思っていた。私の命はまもなく尽きるが、今後のことはキーリーと相談してほしい」との遺言を託されたのである。

マジック・ミュージアムを造ったのも、ジミー忍師の遺言であったことを考えると、私にはマジック界に貢献しなければならない宿命があるのかもしれないと考えたのである。

私が帯広の自社ビル内に造ったマジック・ミュージアムの展示品は全て、留寿都村のルスツ・リゾートに寄贈した。

ルスツ・リゾートを運営する加森観光㈱の加森公人氏との縁で、ルスツにマジック・ミュージアムを造ることになったのである。

2022年10月17日、東京の如水会館で「島田晴夫先生を偲ぶ会」が開催され、全国各地から島田師を慕うマジック関係者が集まった。キーリー夫人も来日するので、この機会にとルスツリゾートとキーリーさんとの縁を繋いだのである。

それが今回実って、私の誕生日に契約を締結できたというのも何かの縁であると感じた。

ルスツリゾートのマジック・ミュージアムは今春に完成する予定である。「島田晴夫コーナー」が出来ることで私も島田師との約束が果たせることになった。

とても嬉しい誕生日プレゼントとなった。