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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2007-12-25-Tuesday アンコール・ワット 4

2004年1月31日 十勝毎日新聞掲載 「聖地プノン・クレーン丘陵」

次に訪れたのは、アンコール・ワットの北東約40キロに位置するプノン・クレーン丘陵。1960年に新しく発見された遺跡で、石切り場でもあった。

再び酷い凸凹道を1時間ほど走って到着した。石澤教授は「移動の間はお疲れでしょうから眠っていても良いですよ」と言ったが、とても眠れたものではない。むちうち症にならないように気をつけながら手すりをがっちりと握りしめていた。

見渡す限り平らなこの地域で、唯一頭が突き出ているのが標高487メートルのプノン・クレーン丘陵である。これからこの山に登るのだと言う。

山の入り口には、食堂とみやげ物屋が並んでいる。石澤教授も「この前までは無かったのに」と驚いていた。人が来るようになると店ができるのは万国共通の現象なのだ。

カンボジアの人はこの山を、ヒンズー教の聖山「須弥山(しゅみせん)」に、この山を源流とするシェムリアップ川を聖河ガンガー(ガンジス川)にみたてたという。

50分かけて山道を登ると小さな滝があった。その上流の河底の岩に神々が彫られている。プノン・クレーン丘陵にはもともと土着の精霊信仰があったが、「アンコール朝の創建者ジャヤヴァルマン2世(在位・802−834)は即位にあたりこの地で儀式を執り行って神から王位を授けられた、いわゆる王権神授で王権を確立した」と石澤教授から解説を受ける(これほど詳しいガイドはいない)。

王たちは即位するとすぐに大寺院・都城・王宮の三点セットを建設しなければならない。この三点が揃ってはじめて王たる証が整う。しかし、二十六人いる王の内で完成させたのはたった四人しかいないという。王になるのもしんどいものだ。

少し上流に行ったらヴィシュヌ神の見事な彫刻があるという。行ってみたら何と削り取られ、盗まれているではないか。「9月に来た時にはあったのに・・・」と石澤教授も呆然とし、ひどいことをする奴がいるものだ、と怒っていた。何でも金、金、金で平気で文化遺産を破壊する。買う奴がいるから盗む奴も出てくるのだ。嘆かわしいことだ。

いささか気分を害して丘陵を後にした。