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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2007-12-27-Thursday アンコール・ワット 6

2004年2月4日 十勝毎日新聞掲載 「生活」

二度目のカンボジアは大きく変わっていた。シェムリアップの空港は新しくなり、街中に向かう道沿いには次々と新しいホテルが建築中だ。

終戦直後の日本もこんな状態に近かったのであろうと思う。しかし、1950年代との大きな違いは、特に電気製品の進歩が象徴しているように感じる。あの当時はいくらお金を出したってビデオや携帯電話は製品になどなっていなかった。カンボジアの田舎はまだ電気も無く、テレビはおろか照明すらない一方、都会のホテルにはコンピュータをはじめとする最新の電気製品が揃い、携帯電話(線を引くより効率的なので普及している)で話す現地の人達がいる。都会と田舎の落差が激しく、しかも金さえあれば最新の技術が手に入るのだ。

カンボジア人の平均的収入は日本円にして一日180円前後だそうだ。ホテルで働く現地の人にアメリカに旅行に行ったつもりでチップを一ドル払うと二人からもらっただけで日給以上の収入になってしまう。

ちょっとしたサービスの提供で簡単に大金(カンボジアの価値で)が手に入る。貧富の差はますます拡大していくと思われる。活気があるのは認めるが、かつての日本が歩んできたような道を辿ることが果たして本当の幸せなのだろうか。

遺跡の近くでは、子供達が絵葉書や本などの土産物を手に持って観光客に売りに来る。大人が売っても売れないから、子供を使って商売をさせているのだ。売り上げは大人に全部取り上げられる。買っても仕方が無い物だし、お金だけ恵む行為は失礼だ。少しでも子供達に報いたいと思い、クリスマスも近いことだしと日本から飴を十種類十個ずつ入れた袋を五十個作って持参した。子供達に配ったところ皆とても喜んでくれた。さすがに大人も飴は取り上げないらしい。でも本当は紙と鉛筆のほうが良かったのかもしれない。

カンボジアでは米は一期作、自分たちが食べる分以上は作らないそうだ。そこら中においしい果物がなり、川には魚が泳ぎ、気温が高いから冬でも着の身着のままでいられる。家も雨風を防ぐ最低限の屋根と壁があれば良い。つまり衣食住全てが満たされているのだ。

何が本当の幸せなのかは死ぬ瞬間まで分からない。そんなことを感じた旅であった。