ここらでマジックに関する薀蓄を一席!
因みに一番古い職業は「売春」である。商売の「商」という文字は字源辞典によると「女陰、子供の生まれるところ」とあるので中国では・・・
古代エジプトの魔術師や日本では邪馬台国の卑弥呼などのシャーマン等もマジシャンの分類に入ると言われている。大英博物館所蔵の「ウェストカー・パピルス」(B.C.1700年頃、3800年前)には「第4王朝時代に3人の魔術師がマジック(おもちゃのワニを本物に変えた。ガチョウの首を切ってまた元に戻した)を演じた」という記録が残っている。また、中部エジプトの「ベニ・ハッサン」という村の洞窟には「カップ&ボール」というマジックを演じている壁画がある。
日本では奈良時代(729年頃)に中国(唐)から「散楽」が伝来し、朝廷公演の余興として演じられたという記録が残っている。「刀を呑む術」「火を吐く術」等、手品・手妻の呼称も古く「遊芸起源」という書物には、「後花園天皇の御代(1429-1463年)に滝川正蔵という手妻師がいて手品の興行をした」ことが載っている。1543年にポルトガルからトランプが渡来し「うんすん加留多(かるた)天正加留多」などと言われていた。
19世紀(1840年頃〜)になると近代奇術の父と言われる「ロベール・ウーダン(フランス)」が活躍する。この人はマジックを活用してアフリカ大使にもなった人物である。
日本に於ける近代奇術は1880年頃から「松旭斎天一(しょうきょくさい てんいち)」が活躍、1901年には渡米公演までしたのである。日本に於けるマジシャン本流の系統はこの天一の弟子たちなのである。図にすると下記の系統になる。
松旭斎天一 → 松旭斎天二
→ 松旭斎天勝
→ 松旭斎天洋 → ①引田天功
→ 石田天海 ②島田晴夫
③八田加寿雄
④ジミー忍(聖忍)
⑤バーディーコヤマ
⑥Mr.マリック(松尾昭)
天一の弟子で愛人でもあった天勝は一世を風靡した大人気女性マジシャンであった、当時はテレビなど無い時代だから、顔など誰も判かりゃしないと日本全国に大勢のニセモノ達が横行したのであった。
天一・天勝一座でともに活躍した天洋(天一の甥っ子)昭和6年に三越で奇術道具の実演販売を開始する。これが後に「天洋奇術研究所」になり更に㈱テンヨー(デパートでマジックの実演販売)になっていく。このテンヨーの実演販売員(ディーラー)から引田天功らが育っていくのである。因みに私の師匠のジミー忍(聖忍)師もこの系統(テンヨーのディラー→プロマジシャン)なのである。