«前の日記(■2007-12-29-Saturday) 最新 次の日記(■2007-12-31-Monday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2007-12-30-Sunday マジック 2

マジックの薀蓄話「マジックと映画の関係」

マジックは映画とも深い関わりがあったのである。

1895年12月28日にリュミエール(オーギュスト&ルイ)兄弟によって初めてスクリーンに上映され、記録映画として歩み始めた映画に、様々なトリックや物語を導入して今日の映画の基礎を築いたのがジョルジュ・メリエス(1861—1938)である。リュミエール兄弟がドキュメンタリー(記録映画)の開祖、メリエスはフィクション(劇映画)の開祖と言われている。

ジョルジュ・メリエスはかつてイギリスに留学していた。芝居を楽しむほどにはまだ英語を理解していなかった彼は、言葉が解らなくても楽しめるマジックを上演している「エジプシャン・ホール(註)」に足繁く通うようになる。当時魔術師マスケリンが運営していたこの劇場では、マジック以外にも幻想的な舞台作品も上演されており、メリエスは完全にマジックの虜になって、1884年にパリに戻ってからマジシャンになるのである。

ロベール・ウーダン(フランス)が1845年にパリに「ロベール・ウーダン劇場」を設立しマジックが演じられていた。この劇場を1888年にマジシャンになったジョルジュ・メリエスが所有、経営するようになった。リュミエール兄弟(映画シネマトグラフの発明者)は当初この劇場の最上部を借りてシネマトグラフの実験を行っていたと言われている。メリエスはたぶんこの実験を見ていたのであろう。メリエスはこの第一回目の上映会(1895.12.28)に招待され「動く映像」に度肝を抜かれ、シネマトグラフの機械(撮影機兼映写機)を売ってくれと懇願するが断られる。しかし、メリエスは何等かの装置を使用して1896年4月4日からロベール・ウーダン劇場でエジソンのフィルムを上映し始めるのである。

1896年3月にロバート・ウィリアム・ポールがアニマトグラフ(別名シアトログラフ)を販売し始めると何台かを手に入れたと言われている。メリエスはリシュアン・ルーロスと共同でこの装置を改造して映画撮影機(映写機兼用)を作り、1896年9月2日に特許を取得する。これが「キネトグラフ・ロベール・ウーダン」と呼ばれる装置である。その後この装置を使ってマジックの要素を取り入れた不思議なトリック映画(月世界旅行、婦人の雲隠れ等など)を多数(500本以上)製作・監督・上演した。

メリエスはリュミエール兄弟やエジソンのような映画の発明者ではないが、今日の映画の基礎を作った人とも言えるのである。

(註)エジプシャン・ホール:イギリスのロンドンでは1873年に「エジプト館(イギリスの神秘の殿堂)」をジョン・N・マスケリンが設立。