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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-01-03-Thursday カンボジア紀行 1

2007年11月24日(土)十勝毎日新聞掲載

カンボジアのアンコール遺跡調査の第一人者、石澤良昭上智大学学長から11月2・3日にカンボジアのシュムリアップで開催された「シハヌーク・イオン博物館」の落成式典と「アンコール・ワット西参道第一工区」の完成式典に、帯広から浅野祐一さん(アサノカメラ堂会長)と坂本和昭(坂本ビル社長)の二人が招待された。現地での模様を4回にわたって坂本和昭が報告する。

浅野さんと私が上智大学関係のご招待でカンボジアを訪問したのは、最初が2001年12月、2回目が2003年12月、そして今回で3回目になる。

何故に3回もご招待を受けているのかという理由に関しては前回の訪問時のレポート(勝毎2004年1月28日〜2月4日掲載)に詳細を書いているので今回は簡略にするが、1995年に帯広市の大学設置促進期成会の委員として石澤先生との知己を得た私は、96年3月から始めた「十勝環境ラボラトリー」の公開講座の講師として、2000年7月に石澤先生の生まれ故郷の帯広にお招きした。その時に聴講した浅野さんが、三条高校・上智大学の先輩でもある石澤先生の活動に感銘し、アンコール・ワット修復工事の人の移動に必要な自動車を01年に、石積みに必要なクレーン車を03年に寄贈し、それぞれ現地で寄贈式を開催したのであった。今回のご招待はこれまでの2回とは違う趣旨によるものであり、渡航費用も上智大が負担するものであった。以下に詳しくレポートする。

NHKの「プロジェクトX」という人気番組にも取り上げられたが、上智大学は石澤先生を中心に1982年からアンコール遺跡修復保存活動に携わってきた。「カンボジア人による、カンボジア人のための、カンボジアの遺跡保存修復」をモットーに、91年からは遺跡を守る現地の保存官・中堅幹部・石工などの人材養成をしてきたのである。他の国がおこなっている遺跡の保存修復作業で働くカンボジアの人たちはいわば単なる肉体労働者であり、保存修復のためのノウハウの伝達や人材育成にはつながらないその場限りの貢献でしかない。一方、上智大学がおこなっていることは遺跡修復の知識・技術をカンボジア人に習得してもらうという遠大なそして現地カンボジアにとっても「自分の国は自らが立て直さなければ意味がない」との気概を伝えるとても有意義な貢献なのである。

その意味深い活動の中で2001年に上智大学が保存修復を担当する仏教寺院バンテアイ・クデイ遺跡(アンコール・ワットの東北約6㎞に位置)の中で現地のカンボジア研修生に対する考古発掘の研修作業を実施している最中に偶然にも274体の仏像を発掘したのである。この274体という大量の廃仏行為はアンコール王朝末期にも、仏教からヒンズー教への宗旨変更を指示した強力な王さまの権力が存在していたことを示しており、従来まで言われていた王権が衰退したからアンコール王朝が滅亡したというプロセスを覆す歴史的な大発見へとつながったのである。この世紀の大発見は有意義な活動をされている石澤先生への仏様(上智大学はカソリックだから神様かな?)からの贈り物なのかもしれない。