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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-01-21-Monday 人間万事塞翁が馬4

3階の半分がガラリと抜けた状態になった1983年からサニーデパートは客足が落ちてきた。

このままではいけないと、3階のワンフロアー全部を若者の起業者向けに小割りにリニューアルして安く貸し出すことにしたのである。しかし、抜けたファンシー店のような集客をすることはできなかった。本屋も客が減ってきたから、1984年3月には面積の半分を返上すると言ってきたのである。どうやらこの辺りから中心街の衰退が始まったように感じる。ビルの供給が急激に過剰となった為にどのビルもテナントが充分に埋まらなくなってガラガラのビルばかりになってきたのである。そうこうするうちにサニーデパート内のテナントもガタガタし始めた。複数のビルに出店していたテナントが店舗の集約を始めたのである。それもヨーカドーやニチイなどの管外資本の大型店に集中して。

もはやワンフロアーだけの中途半端なリニューアルでは客足は戻ってこない。何か抜本的な転換をしなければならないと考えていたのである。そんな1986年5月に長女が生まれて「サニーデパートを子供のビル」に変えようと思い付いた。早速、社長(父)の許可を貰って調査研究に入ったのであった。

世はすでに少子高齢化が言われていた時代である。そんな中で「子供の数が減るのに子供用品のビルに変えるなんて無謀だ」と残っているテナント全員から非難されたのである。

私は、『少子化で子供の数は減るが、高齢化によって両親と更にその両親(爺婆)が生きている時代になった。子供は自分の物を自分で買う訳ではなく親達に買ってもらうのだから、財布の数は6つに増えることになる。大人と違って子供はドンドンと成長していくから買い控えはできずに毎年買い換えをしなければならない。サイズの変わらない年寄りの物を売るより子供の物を売ったほうが楽しいし夢がある。本店では大人の用品を、サニーデパートでは子供の用品を揃えれば客の満足度も上がる。』と説明して歩いたのであるが、28歳の若造の言うことなど誰も相手にしてくれなかった。追い風になると思って協力していた「津川雅彦氏のサンタランド構想」も頓挫してしまった。最初は賛成していた社長(父)も「お前一人だけで事業が出来る訳ではない。協力者が居て初めて出来るのだ。協力者が現れない現状では断念するしかない」と言って、ついにこの「こどものデパート」構想は水泡に帰したのであった。

この子供ビルの構想の時に、こんな出来事があった。サニーデパートは津川雅彦氏が関係していた「チルドレンミュージアム」の帯広店になるかも知れないという噂が出てきたのである。実際に「原宿のチルドレンミュージアム店」に入居している大手テナントの社長達が、津川雅彦氏のサンタランド構想に賛同して頻繁に帯広を訪れていたからだ。私はサンタランドの事務局を手伝っていたから、私のビルにも数人が出入りしていたのである。

とある帯広の大手の洋服屋が「あなたのビルには、私のところの子供服部門が入居してあげるから、あのメーカーを入れるのは止めなさい」と言ってきたのである。結局は入居するつもりが全く無い、ただの妨害工作だった。この洋服屋はライバルが出て来るという情報を得ると色々な場所(ビル)で同じ事を何度も繰り返しては妨害していたのである。こういう商売倫理観が欠落している企業はある時期には他人を蹴落として儲けられるかもしれないが、こんな企業が長続きするものではない。

案の定、何年か後には倒産してしまった。「天網恢恢祖にして漏らさず」なのである。