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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-01-24-Thursday 人間万事塞翁が馬7

あろうことか、地階の居酒屋の社長からクレームが付いたのである。

「飲食店ビルにしたら良い」とアドバイスしてくれた社長だったのだが、「同じ職種の大型居酒屋はうち一軒だけで良い。他はレストランや食堂、バーやスナックなどを入れたら良い。」という意味だったと言うのである。

新しく入居を打診してきた方の社長らは「同業種が集まる事で相乗効果が上がるから、居酒屋が一つのビルに固まった方が良い」と言うのである。おそらく他社には負けないという自信がそれぞれにあったのであろう。もし我が社が断って隣のビルに出店された場合でもライバルであることは同じであるし、防ぎようはない。であるならば、帯広のお客が『まずは「坂本ビル」の前で待ち合わせる』という様な風潮を作り出し、同じビルの中で切磋琢磨する方がお客にとっても良いことになるのではないかと考えたのである。

ところが、地階の居酒屋の社長の剣幕は納まらない。「自分が開拓した客を新規の居酒屋に奪われるから絶対に認めない」と猛反発してきたのである。いわゆる既得権という奴を持ち出してきたのだ。

私は飲食業の事に関しては良く判っていなかったから、飲食や食品関係に携わる方々にアドバイスを求めた。社長であった父が亡くなって、会社のことを相談する人が居なくなってしまったからである。ほとんどの人が「前から居てくれているテナントさんの言うことを尊重したほうが良い。」「坂本ビルのワンフロアー全部(約200坪)を使う巨大な居酒屋が4軒も同じビルの中で営業するのは無理だ。共倒れになるから止めた方が良い。」と言うのである。

昔から他人にダメだと言われると、逆にムラムラと闘争心が涌いてくるタイプだから「そうかそれならやってやろう!」と決心したのであった。

我が社は「ビル賃貸業」である。「借りていただいてナンボ、使っていただいてナンボなのである」「空けておくことは罪なのだ」という哲学(のようなもの)が湧き出てきて、信念を持ってことに当たることが出来たのである。

腹をくくって、地階の居酒屋の社長が住んでいる街に出向き、説得をおこなった。しかし、その場ではガンとして了承はしてもらえない。二度目に出向いた時に少し柔軟な態度になってきた。三度目になると条件闘争に変化した。結局、出入口の整備、看板の位置や大きさなどを優遇することでなんとか折り合いがついたのであった。

私としては、ビルはガラガラの状態だし、すでに貸し家も取り壊して家賃収入もゼロにしてしまっているから、まさに背水の陣で、生活が掛かっているのだから命懸けである。

仕事上は父の生前に専務としてやっていた事とそう大きな違いが有るわけではないのに、社長となるとこうも責任の度合いが違うのかと、改めて感じさせられた。

専務時代は即断即決しなければならない重要な話し合いの場に社長の名代で出席している場合でも「社長の許可が必要だから若干の猶予が欲しい」と時間稼ぎをして、その間にシュミレーションすることが出来たのだが、社長となるとそうはいかないのだ。相手も「社長になったんだから、今すぐ決められるだろう?」と即断即決を迫ってくる。社長業とは結構つらいものだなぁと感じたものであった。

ともあれ1995年4月5日に新生坂本ビルは飲食店ビルとして入居率を100%にして甦ったのである。