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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-01-28-Monday 縁は異なもの味なもの

昨日の日曜日に妻と映画を観に行った。

岡田准一主演の「陰日向に咲く」という映画だ。私は邦画があまり好きではないので、ジョニー・デップの「スウィニー・トッド」にしようと言ったのだが・・・。

以前にも書いたが「夫婦50歳割引」というのは夫婦が同じ映画を観る事が条件となって、2人で2000円という低価格になるのである。別々の映画を観るという訳にはいかないのだ。

妻が岡田准一のファンだと言うので、仕方なく付き合ったのだが・・・

ここでは映画の講評は避けておくが、映画の主題は「縁」若しくは「因縁」だと思ったので鑑賞後に妻と、2人の結婚についての思い出話をしたのである。

私たち2人の結婚にも「縁」が大きく関わっていたのだ。

妻の旧姓は「西雪」というのだが、語感が「白雪姫」と似ていたが為に、苗字でだいぶ得をしていたように思う。妻と私は小学校が一緒であったが、妻は4年生の時に転校して行った。途中での転校というのは、どうもヒロインに成り易いようである。名前と相まって私の頭の中で勝手に良いイメージが増幅していったのであった。

高校に入学して同じクラスになった。珍しい名前だからすぐに判った。「あっ、あの西雪さんだ!」といきなりビビッと来たのである。私もシャイだからなかなか告白することが出来なかった。3年生の12月になってこのまま告白しないで卒業するのは悔いが残ると、思い切って自宅に電話したら「お友達としてなら・・・」という答えであった。

それまで女性と交際したことなどなかったので、その言葉がやんわりとした「お断り」のセリフだとは露も知らなかったのである。すっかり有頂天になった私は3日続けて電話をした。3日目に「NHKのど自慢の切符があるんだけど一緒に見に行きませんか?西城秀樹と岩崎宏美がゲストなんだけど」とデートに誘ったのである。すると「もうすぐ受験でしょ。今はそんな時期ではないと思いますよ。」ときつい口調で断られたのであった。遅ればせながらようやくこの時にフラレタことに気が付いたのである。

結局、のど自慢は岩崎宏美の大ファンだというむさくるしい奴と見る羽目になってしまったのであった。

正月にビートルズのロングアンドワインディングロードの歌詞を書いた年賀状を出したのだが返事はこなかった。高校の恋ははかなく終わったのである。(結婚後に聞いたら電話のことも年賀状のこともまるで憶えていなかった)

社会人になってから4年目の1984年に私が所属する商店街で「グアム島旅行ご招待セール」という売り出し企画があった。私はこの旅行(9月28日〜10月2日)にお手伝いとして同行したのだが、妻も参加していたのである。妻の方は親戚の人が当選したのだが直前に飼っていたペットが死んで行きたくなというので替わりに参加していたのである。

「あっ、あの西雪さんだ!」と私の心がときめいたのは言うまでもない。だが、同じ人に2度もフラレルのはカッコ悪いから言い出せず、グアム島では何事も起こらなかったのであった。

ところが帯広に戻ってから実に不思議なことが連続して起こったのである。

このグアム島に行く直前の9月14日に知人の結婚式の発起人(「後継者スクール」という勉強会に参加していたメンバーが新郎側の発起人)を務めたのである。

この「後継者スクール」では私が最年少で、この時に結婚したのは私のすぐ上の年齢のメンバーだった。

10月6日にこの新婚家庭に発起人たちが招待されてパーティーを開いたのである。「後は坂本君だけだな。誰か相手はいるのかい?」と聞かれたので「いません」と答えたら、「では、良い人を紹介したい。私の大学の後輩なんだけど、坂本君にピッタリだと思うんだ」、「西雪さんといって・・・」と言うのである。「え〜っ、実は、その西雪さんが好きなんです、この間も、グアム島でたまたま一緒になったんですけど交際を申し込めなくて」と言ったら、「それなら、お見合いをしよう。私が間を取り持つから」と言うのである。

10月15日にその人の仲人(?)でお見合い(?)みたいに会食をしたのである。4日後の19日にはグアム島旅行の写真交換会が開かれて、またまた一緒になったのであった。

それからは何回かデートを重ねたのである。

妻の家は2人姉妹で姉が一人居るが、この姉が嫁いだ先の苗字が「坂本」なのだ。旦那の名前が「和隆」で私と一字違い。しかも実家は札幌で土産品店を営んでいるというから親の職業も同じなのである。

浅からぬ縁を感じたのだが、これだけではなかった。西雪の父と私の父は同じ中学校の剣道部の先輩、後輩の仲だったのである。更に、結婚式の仲人を頼みに、父の友人のところに両家で挨拶に行った時のことだが、西雪の父の戦友で消息不明の人がいたのであるが、東京に居る仲人さんの娘さんのピアノの調教師がその戦友であったのだ。たまたま私達の結婚がキッカケとなって判明したのである。

世の中にはこんなにも偶然が重なることがあるのだなぁ〜、この結婚は必然だったのかもしれないなぁ〜と感じたのであった。