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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-01-Friday 機関誌ゆき掲載文1

これからの北海道が生き残るには、「観光」と「農業」が大きな位置を占めることに異論がある人は少ないと思う。

だが、これまでの延長線上で考えていては、いつまでたっても新しい道は開けないだろう。「観光」と「農業」をそれぞれの単体ではなく、二つを融合させて新しいパワーを発揮させつつ、中心市街地を活性化できないだろうかと考えたのである。

しかし、一市民が「観光と農業の融合」・「中心街活性化」などと大きなことを言っても誰も相手にはしてくれない。ならば自分達の手で出来ることから始めようと1999年に行動を起こしたのが帯広の「北の屋台」事業であった。

事業というものはただ闇雲に突っ走っても成功は覚束ない。上手く行っている事業には「コンセプト」と「戦略」がしっかりしていることに気が付いた。焦らずに三年間(実際には二年半)の準備期間を設定しじっくりと屋台事業に取り組むことにした。事業計画というものはこれからの道筋(将来像)を一緒にかかわる人間皆が納得出来る「共通認識」にしなければ意味をなさない。いわばナビゲーターの役割を果たすものだ。上手く機能させるには今自分が立っている場所が何処なのか現在位置を正確に知る必要があると思ったのである。そこでまず北海道観光の現状を分析してみたのだ。

北海道観光には、夏と冬の極端なオンとオフとのシーズン差がある。もちろん夏場がオンで冬場はオフである。北海道の冬の観光といえば札幌の「雪まつり」が全国的に有名で多くの観光客を集めているが、それでも効果があるのは十日間程度でしかなく、ましてやそれ以外の地域のイベントの集客力はまったく弱いと言わざるを得ないし、スキーも一頃の勢いが無くなってきている。

巷間言われているのはオン・オフの差があると、値段・客対応・品質などにムラが出やすいということである。「どうせ一度しか来ない客だから」と侮った対応をして評判を落としてしまうのである。これが北海道観光はホスピタリティが欠如しているといわれる最大の原因なのではなかろうかと考えた。

最近は観光客の嗜好の変化も大きくなってきた。二十世紀の観光を象徴していたのは良くも悪くも「団体旅行」であった。皆、ガムシャラに働いて多少のゆとりができたら職場や町内会などの「集団」で旅行に出かけたのである。出かける先は「温泉地」が圧倒的に多かった。温泉地のホテルは大型化し、一旦ホテル内に入った客を一歩たりとも外に出してしまってはホテルの収入が減るからと、ホテル内に売店からラーメン屋、カラオケバーまであらゆる施設を完備した。

その結果、街には客が出る必要がなくなったので温泉街は廃れてしまったのである。

旅行は非日常を味わうものである。普段住み慣れている街の生活と違う何かを求めて来ているのにそれをさせずにホテル内に「囲い込み」をしてしまった。ホテル内には建前上いわゆる健全なものしか造ることは許されないから、「ストリップ」や「秘宝館」などのいかがわしいモノは当然ない。人間は健全過ぎるものだけでは疲れるのである。地元を離れた旅行の時くらいは、多少は猥雑なものを求めているのではないだろうかと考えた。

海外旅行が高嶺の花だった頃は北海道も新婚旅行が多かった。北海道民芸品店を営んでいた我が家も、昔は熊の木彫りなどが面白いように売れた時代があった。旅行が一生涯に一度しか出来ないという頃には「餞別」という風習があり、餞別をもらったところにはお返しとして「土産物」を買って帰ったものだった。

土産品の業界にも問題があった。誰かがどこかでヒット商品を出したら、どこのメーカーもすぐに追随して類似品を投入する。この広い北海道の土産品屋はたちまち、どこも同じ様な商品が並んでしまい、場所ごとの特色も消え失せてしまった。

家も狭く、熊の木彫りを土産に貰っても飾る場所が無い日本の住宅事情では嵩張る「おみやげ」は敬遠されるようになってきて、食べたら無くなる「菓子」や「食品」に取って代わられた。旅行が日常化した今日では、「餞別」という風習は消え去り、他人には土産を買わなくなった。しかも最近は日本国内の航空運賃が海外に較べて高過ぎるが為にほとんどが海外旅行に流れてしまっている。

旅行先に海外を選ぶか、十勝を選ぶかの選択は、支払う人間のサイフはしょせん一つなのだから、世界をライバルにして競争するということと同義になるのであるが、世界が相手では負けるのはしょうがないと諦めていたのではないだろうか。

十勝は観光では遅れた地域であり、通過型観光と揶揄されてきたところである。しかし、逆に二十世紀型の「団体旅行」にどっぷりと浸かっていない分だけ新しい型の「個人旅行」への対応がし易いのではなかろうかと考えた。

二十一世紀になって情報量が圧倒的に増えると「個人旅行」に急に変わったからである。「団体旅行」と「個人旅行」との大きな違いは客の情報力の差にある。

団体客はいわゆる「幹事さんまかせ」で自分では行く場所の情報収集などはしなかったし、またそれでも充分に楽しめた。

「個人旅行」になると、インターネットなどで事前に行き先の情報を充分に調べて行くし、スケジュールも自分達で決めていく。

これは業者側にしてみれば要望の単位が団体の「一」から「人の数」分に増えたということになる。個人客の要望は多様だから「泊食分離(夕食無しの素泊まり可で、ホテル外の店で自由に食事する)」や「交泊分離(大型バスで来る団体客ではなく、個人で来るレンタカーの客)」などへの対応が主流になって行く。

つまり、一ホテルの中だけで全てを満足させる「点」の時代から、周辺も含めて地域ぐるみで魅力を造り出していくことが必要になる「面」の時代へと変わったということである。私たちには大型ホテルを造る事は出来なくても、面白い小型の飲食店や物販店を作る事ならば可能なのではないか。だが、商売としては、極端なオンとオフとがあったのでは安定した経営は難しい。年間を通してある程度の安定した集客の出来る方法はないものだろうかと考えた。

「個人旅行客」が事前の旅行先の情報収集に何を重要視しているのかを調査してみたら、面白い事が判った。一頃は「旅行情報誌」を買って現地の情報を調べていたが、インターネットの発達によって情報量が飛躍的に増えた為に旅行情報誌に載っているのはコマーシャルが多いことに気が付いたのである。広告料を払って載せている店の評判が、地元の人の評判と必ずしも一致するものではないということが判ってきたのである。個人客は事前にブログ等で調べて「地元の人が好んで行く場所や評判の良い場所に行きたがる」傾向にあることが判った。

「観光客用に造った施設には地元の人はほとんど行くことはないし、逆に地元の人が好んで行く場所には観光客も行きたがる」ということなのである。

地元の人に愛される施設を造れれば、オンとオフとの差が少なくなり、通年で安定した商売が可能になる。

では、どうしたら地元の人に喜んでもらえるのだろうか?ヒントは「地産地消」にあった。

地産地消とは地元で採れた物を地元で消費しようということである。こんな当たり前のことで何故、地元客に喜んでもらえるというのであろうか。

十勝は、多品種、大量に農、畜、水産物を収穫できる場所であるが、実は、地元の人間は十勝で何が取れ(採れ)ているのかも知らなかったのだ。商売的には良質のモノは、人口の多い大都会に出荷しなければ金にならないのである。

これは、今、全国各地で起きているヘンテコリンな現象なのだ。生産地に暮らす人間が地元で生産されているモノを知らず、食べたこともないというのである。

十勝は機械化された大規模農業だから畑からトラックに積んでそのまま都会に運んでしまう。農家にしてみれば地元への少量の出荷は面倒だし、金にならないから、そんな手間暇はかけられないということなのだ。

何かがオカシイ!これを何とかできないものだろうか!

地元の人に喜ばれ、通年営業が可能で、非日常の猥雑さを演出し、身近な生産物を旬の時に食べられる場所を造ったら・・・それでもまだ何かが足りない気がした。

そこでもう一つ、郊外の大型店と都心の小型店との差別化をしなければならないと考えた。

郊外型の店は徹底的に人手を省いてセルフサービス化し、省力化、効率化を図っている。店員と客とのコミュニケーションは希薄にならざるを得ない。都心店でそれと同じ展開を図ったら、同じ土俵の上での競争になってしまう。相手には巨大な資本があるから同じ土俵では勝てる見込みは少くない。効率化競争で乾ききってしまった雑巾を更に絞ってもやがては千切れるだけであるから、異なる土俵で勝負しなければならないだろう。

大手の企業は、零細企業が智恵を絞って始めた起死回生の方法でも、それが良いとなると恥も外聞も無くマネして取り入れようとする。だから、大手には到底真似出来ないような方法を考え出さなければならないと思った。

郊外型店舗が人を人として遇しようとしないなら、こちらは逆に徹底的に「人」を中心とした場所にして、「人と人とのコミュニケーション」を重要視する場所にしようとしたのである。