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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-03-Sunday 商い(あきない)の歴史

2003年3月22日(土)十勝毎日新聞掲載

最近の商店には元気がない。やれ不況だ、デフレだと嘆いていてみてもどうにかなるものでもない。「商い」とは何ぞやを考えるうえで、まずは原点に立ち戻って考えてみたい。

字源辞典によると「商」とは女陰、子どもの生まれるところとあり、商の字の口は膣を表わす象形文字なのだ。人類最初の商売は売春であると言われているが、字自体がそれを表わしているとは漢字を創った中国人の感性に正直感嘆した。

さて、日本における初期の商いの仕方には大きく分けて「振売(ふりうり)」と「立売(たちうり)」の二種類があった。

振売とは別名「棒手振(ぼてふり)」や「連尺(れんじゃく)」とも言われ、売る品物を手や肩にかけて場所を移動しながら商うもので、直接手に持って売るものや、天秤棒で担ぐもの、屋根を付けた荷台を担ぐものまで、使う道具の形によって更に種類が分かれている。

立売とは道路脇や神社仏閣の境内などに見世(みせ)を出し、移動せずに商うもので屋台見世と乾(ほし)見世とがある。屋台見世は小さな家の形をした屋根付きの台に商品を並べて売り、乾見世は路上にムシロや台付きの戸板等を広げ、その上に商品を並べる売り方である。

神社仏閣などの縁日に市が立つようになり、やがて訪れる大勢の人達のサイフの中身を当てにして縁日商人たちが露店を出したことが商いの始まりであった。しだいに定期市、常設市へと発達し、固定化された市ができる。そこでは見世物の存在を許す盛り場ができ、香具師【もともと江戸時代には香具師(ヤシ)とひとくくりに言われていたが、明治以降は露店商(縁日商人とは区別)など商品を売る部類を「テキヤ」、見世物師(タカモノシ)など芸を見せる部類を「ヤシ」と呼ぶようになった】が活躍するようになった。

このことから「商い」の原点とは香具師に始まるエンターテインメントであると定義できるのではなかろうか。

口上商と書いて「あきない」と読ませる場合は露店商のことを指すが、もともとは薬を売ることを本業とした人のことを言う、「さあてお立会い、御用とお急ぎの無い方は・・・」の口上で始まる「ガマの油売り」などにその痕跡が残っている。

口上系の香具師の売り方にはいくつかの種類がある。中でも「啖呵売(たんかばい)」は口上(タンカ)を述べて人の足を止めさせ、買う気を起こさせ、更に納得させて、ついには買わせてしまう技量が必要で、かなりの年季のいる玄人(くろうと)仕事なのである。バナナの叩き売りや映画フーテンの寅さんでの「結構毛だらけ猫灰だらけ。見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。見下げて掘らせる井戸屋の・・・・」という渥美清の名調子を思い起こしてもらうとよい、まさに芸術的話芸なのである。その他客の中に「サクラ」(サクラが熟練者で売る方は素人)がいて身の上を同情させて売る「泣き売(なきばい)」や香具師になってまだ日の浅い熟練していない連中は商品を並べているだけで口上を述べない「御覧売(ごらんばい)」などの売り方があった。

さしずめ今日、売れないと嘆いている商人はこの御覧売に近いのではあるまいか。