«前の日記(■2008-02-07-Thursday) 最新 次の日記(■2008-02-09-Saturday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-08-Friday 視察旅行記2

「奄美大島(10月)」

24.25日と奄美大島に移動した。同じ鹿児島県なのに島同士の直行便が無い。一旦鹿児島空港に戻ってからの大島入りで時間がもったいなかった。奄美大島は後藤君の商工会議所青年部の関係で、大島で旅行会社に勤めている田町まさよさんが休暇を取ってプライベートでご案内してくれた。

全員酒好きということもあって奄美特産の黒糖焼酎の工場(西平酒造株式会社)に連れて行ってもらった。西平功社長はJCの元メンバーということもあってすぐに打ち解けた関係になった。共通項を持った仲間というのはありがたいものだ。黒糖というイメージから甘い焼酎と思い込んでいたがやはり先入観念はいけない。沖縄の泡盛よりも癖がなくマイルドな味に驚いた。早速注文しようと思ったが既に半年先まで予約が決まっていると言う。工場が小さいからしょうが無いのだと言う。無いと言われると欲しくなるのが人情だ。島一番の「まえかわ酒店」に連れて行ってもらった。何本か送ってもらうことにして気持ちがようやく落ち着いた。

夜は地元奄美大島の青年部の人達との交流会がセットされていた。酒場では三線と太鼓で素人が民謡を歌う、私も太鼓をたたかされた。北海道には歴史が無いからこんな風習が無い。地元の歌を三味線ですぐ歌えるというのは良いものだ。

宿泊した「ばしゃ山村」社長の奥篤次さんは島おこしに熱心な方で、ホテルの敷地内に奄美民俗村を造っている。古民家を移築したり、昔の生活を再現したり、陶芸をさせたり、黒糖や塩も作っている。施設をご案内いただいているとき、かまどで御飯を炊いていた。丁度炊きあがったところだったので、食べたいとリクエストしたらご馳走してくれた。やはりかまどで炊いたご飯は、ご飯だけでも充分に美味しいものだ。

地元の染色作家のアトリエに連れて行ってもらった。奄美の自分の庭に生えている植物で染色をしている。これからは人工的な科学染料よりも自然の染料を使うほうが人気が出るかもしれない。いつも同じ色ではなくて、時々の状態によって色が変わる、同じものは二つと造れないがその方が味がある。大量に同じものを生産して安く作るより、高くても一つだけを求めるのだろう。二極分化するのかもしれない。中途半端は生き残れなくなるだろう。

ホテルの近くに陶芸作家の夫の作品を使ったり展示する喫茶店を経営する奥さんの店に入ってコーヒーを飲んだ。ここも古民家を自分達で移築したと言う。のんびりと自分のしたいことをして生きるそんな時代なのかなぁ・・・

「石垣島(11月)」

11月3日に沖縄県八重山諸島の石垣島に訪ねたとき、丁度台風が接近していた。地元の人に言わせるとたいしたことのない小型の台風だというが、台風がめったに上陸しない北海道人にしてみると心配だ。

初日の宿は「ビーチホテルサンシャイン」名前の通り、夕陽が美しいとのこと、しかし、曇っていて太陽は見えなかった。一緒に行った連中が海で泳ぐという。地元の人は皆あきれた顔で寒いし台風が近づいているから止めたほうが良いと言うのに、せっかく沖縄に来たのだからと皆が泳ぎだした。泳いだ連中に言わせると、沖縄の夏の海はぬるくて気持ち悪いが、これくらいの水温なら丁度気持ち良いという。海から皆が上がってホテルの四階にある温泉の大浴場に入った。一部が露天風呂になっているのだが、設計がいまいちでせっかくの海の景色が綺麗に見えない。もう少し考えて創れば良いお風呂になるのにと思った。

三月に沖縄の那覇で開催されたシンポジュームで同席した、石垣島のNPOの事務局で専務をしている石田さんにご案内をお願いした。事務局のある公設市場の三階の「いちば食堂」で郷土料理をご馳走になった。どれもおいしい料理であった。この食堂は旅行雑誌などには紹介されていないが地元の人が美味しいと通う店だという。情報誌に載っている店は結局のところ店側がお金を払って載せているコマーシャルにしか過ぎない。地元の人が通う店はあえて宣伝する必要がないのかもしれない。

二次会に沖縄民謡のライブを演っている店に連れて行ってもらった。同席した地元の漁師のおじいさんと意気投合して一緒に歌って踊った。沖縄民謡のリズムは自然と身体が動き出す。各家庭でもすぐに歌って踊るのだと教えてくれた。生活の中に音楽があるのはとても良い風習だと感じた。